願海寺新聞 第70号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

ご相談・お問い合わせ

サイトメニュー
願海寺新聞

願海寺新聞 第70号

発行:2019年8月

こんにちは!いよいよ夏本番、水分補給などはしっかりして熱中症などにはどうか気をつけて下さいませ!
さて、7月は、6日に越中聞法倶楽部『やさしい真宗おはなし講座』を、14日には『栃津房舎おつとめ』、19日は『がんかいじこどもしょうくどう』、23日&24日は『お寺を楽しむ会』を開催致しました。これらの行事の中で、「これまでお寺に行ったことはなかった」という方も少しずつお寺にお越し下さるようになってきていることを実感しています。忙しい、忙しいという日々だからこそ、たまにはお寺という非日常的な空間に身を置いて「ほっ」とする時間を持つ。これって私たち現代人にとって、とても良いことなんじゃないかなと思っています。きっと心身が少し楽になると思いますよ♪皆様どうぞ気軽に遊びにいらして下さいね。
8月は20日に『楽しい仏教入門』(19日は変更になりました)、23日に『がんかいじこどもしょくどう』、そして27日&28日に願海寺を会場に年に一度の富山組(そ)の大行事『仏教講習会&檀波羅蜜(だんばらみつ)法要』があります。どうぞ皆様ご聴聞くださいませ♪皆様のご来寺を心よりお待ちしております!  合掌 南無阿弥陀仏 弦

人、世間愛欲のなかにありと、独(ひと)り生(うま)れ独(ひと)り死(し)し、独(ひと)り去(さ)り独(ひと)り来(きた)る。-仏説無量寿経 下巻ー

Q『歎異抄ってなあに?』

浄土真宗(じょうどしんしゅう)のみ教え(教義)云々(うんぬん)よりも、宗祖(しゅうそ)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)の思想の哲学的な面や、日本の古典の1つとして、『歎異抄(たんにしょう)』を手にされる方は多いようです。まず、押さえておきたいのは、この『歎異抄』は宗祖の御著作ではありませんというところです(ここ重要です!)。
宗祖の教えを直接聞いてこられたお弟子さま(唯円(ゆいえん)さまという方であろうと考えられています)が、宗祖のご往生(おうじょう)から20年ほど後に、その教えを誤って解釈する人が増えていた(異義(いぎ)・異安人(いあんじん))ことを歎き、耳の奥に残る宗祖から聞いてきた法語(御言葉)をまとめた語録と、誤った解釈に対して著者(唯円さま)自身の慈歎と宗祖からの教えの真意を伝えたいという思いが綴(つづ)られた書物が『歎異抄』なのです。宗祖のご往生は1263年で、『歎異抄』は1288年頃に書かれたのであろうと見られているようです。
宗祖が直接語っておられたこと(または、それにごく近いと思われること)が『歎異抄』ほどたくさん遺(のこ)されているものは他になく、そこから私たちは宗祖のリアルな息吹、まさに人間・親鸞という存在を感じることができます。これは『歎異抄』の特筆される点であります。ただ、その鋭い、ある意味過激さも感じられる文面は、正しくご信心を頂けていない人には、異義を正すためのものが、かえってまた別の異義(勝手な解釈)を招いてしまう恐れもあるということで、本願寺(ほんがんじ)8代宗主・蓮如上人(れんにょしょうにん)は、この書を安易に人に見せてはならぬとされ、そのため広く読まれるようになったのは明治時代になってからのようです。
先にも述べましたように、『歎異抄』には宗祖からの法語が収められているわけですが、あくまでもその著者は宗祖ではなくお弟子さま(唯円さま)ですので、それをそのまま全て宗祖の教えとして鵜呑(うの)みにするのは気を付けるべきであるとされ、本願寺派では宗祖の著述なされたご書物やお手紙などの「聖教(しょうぎょう)」ではなく、「聖教(しょうぎょう)に準ずる」として扱われています。そこはしっかり踏まえた上で、『歎異抄』で繰り広げられる、私たちを「えっ?!」と驚かせるような宗祖の御言葉と深い思想について、次号で触れさせて頂きましょう♪  なもあみだぶつ♪

くいず

真宗門徒として馴染みの深い、親鸞さまがお書きになったのは以下のうちどれでしょう?!

1.怪物くん 2.万葉集 3.正信念仏偈

■先月の答えは「3.愚禿(ぐとく)」でした!

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞