願海寺新聞 第30号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第30号

発行:2016年4月

こんにちは!雪の少なかった冬も終わりいよいよ春を迎えました!
私・巧弦は春生まれなので(?)春は大好きなのですが、今年は花粉症がひどくつらいです。皆様は大丈夫でしょうか?!
さて、3月は久し振りに京都・本願寺へと伺ってきました。本山の朝のおつとめはやはり良いものです。とても清々しかったです。皆様も是非とも一度お参りされて下さい!
では、願海寺の行事案内ですが、本年の永代経法要は5/29(日)の朝10:00からと昼13:00からの二座おつとめ致します。み仏のお声を共に聞かせて頂きましょう。どなた様もお気軽にお越し下さいませ!弦

願海寺あれこれ

明治時代初頭に起きた廃仏毀釈の法難によって江戸時代初頭より約200年もあった五番町の境内地が明治4年(1871年)に没収となり、その後3年間も境内地のなかった願海寺ですが、明治7年(1874年)に現在あります清水町三丁目の地に移ってきます。
これが明治7年に本堂が完成したという意味なのか、それとも明治7年に居住を構え本堂の完成などはまだ後だったのかははっきりわかりません。
ですが、明治10年10月9日に本願寺21代・明如(めいにょ)上人が富山へ御巡教の際に願海寺にお立ち寄りになったとのことなので、そのときには本堂はあったのであろうと思われます。この激動の時代、願海寺は27代・巧沖(ぎょうちゅう)が住職でした。巧沖は廃仏毀釈の後に訓導(現在でいう小学校の先生)という役職にも就いていたそうです。
なお、巧沖は前住職31代・巧演(ぎょうえん)の曽祖父(ひいおじいさん)にあたります。
願海寺の歴史も現代まであとわずかとなりました!

Q『お墓に別の家族の人の遺骨は納めちゃいけないの?』

お墓といいますと、一家庭に一つあるという考えが一般的であったと思われます。ですが、分家や核家族化などにより、お墓に関して様々なお悩みを抱えてられる方は多くいらっしゃいます。よくお聞きしますのは、「お墓に別の家族の遺骨を納めるのはよくない」といったものです。お墓の中に知らない人が来て仏さま同士がケンカでもされるというイメージでしょか…?!まず、仏教では「無我(むが)」を説きます。「無我」とは「私」を構成する根本に魂のような存在は無いということです。無我ということは、玉ねぎを一枚ずつ剥がしていくと最後には何も残らないように、私の肉体が滅んだ後に私を司る霊魂だけが残ることもないわけです。
よって、遺骨に霊魂のようなものが宿っているということもありません。お墓についても同じです。そして、亡き方の「意識」(この“意識”への解釈はとても難解になりますのでここでは触れません)は、この世での命が尽きると同時にお浄土へ往くので、この世をフラフラとさまよっていることはありません。つまり、お墓とは御先祖さまから受け継がれてきた尊いご縁にこの世にいる私たちが感謝をさせて頂くための場であり、その象徴なのです。
私たちは現世において国・人種・地域・家族など様々な壁を作り区別・差別をして生きています。確かにそれら区別があることは便利でありますが、そこからまた差別という苦しみも生まれているのです。そんな現世に対し、仏さまの世界(お浄土)では区別・差別はありません。そもそも必要ないのです。ですから、お墓に家族以外の方の遺骨が納められたからと怒ったりされるなんてこともありえません。だは、仏様は私たちに対してどう思われているのでしょうか?
仏さまは「きちんと手を合わせ南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とお念仏してくれよ」と願って下さっています。その願いに応え、お念仏を喜ぶ人生を歩ませて頂くことこそが大切なのです。
そして「倶会一処(くえいっしょ)」、すなわち「いつかお浄土で会える」日を確かに迎えることができるのですね!  なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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