G-TIMES 第108号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

ご相談・お問い合わせ

サイトメニュー
願海寺新聞

G-TIMES 第108号

発行:2022年10月

こんにちは!
9/20~21に、年に一度の富山組(富山市中心部エリアの本願寺派 約50ケ寺のグループ)『仏教講習会』が営まれました。
ご講師は本願寺派の司教というスゴイ学者で、龍谷大学 特任教授であられる武田晋和上がお越し下さったのですが、先生は歴史にも造詣が深いようで、なんと19日には富山に着かれたその足で、立山町の願海寺 栃津房舎(親鸞聖人御分骨六角堂)へお参りくださったようです。私はそのことを翌日に聞かされたので大変驚きました。このように、富山に親鸞聖人のお墓があるということは全国の真宗門徒にとっての宝ということですね!これから先にも聖人を慕う全国の方々にお参りに足を運んで頂けるように、修復プロジェクトをしっかり進めていかねばと改めて思いました。
具体的には、六角堂の調査などを担当して下さっている先生が、いくつもの文化財修復などを掛け持っておられる関係もあり、まだ修復予定の復原図面のみという状況ですが、着実に進めていく所存です!

合掌
南無阿弥陀仏

「一切の事物は我ならざるものである」と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。
『ダンマパダ』(279)

仏教であるための印ってあるの?~諸法無我 編~

数ある宗教の中で、他とは異なる「仏教のオリジナリティ」を示す「三法印」について前号から学んでいます。
その最初は、「この宇宙の全ては一瞬たりとも留まることなく常に変化し続けている」という「諸行無常」でした。これは科学的に見ても合致していますので、現代人の誰もが頷けることでありましょう。

さて、今月は続いての「諸法無我」です。古代インドでは、アートマン(atman)といって、あらゆるものの根源に独立不変の主体(霊魂のようなもの)があることを認めていました。当時の哲学者たちは、身体や精神は変化するが、それにもかかわらず、私たちの中には永遠に変わることのない固定的な実体があると考えていたわけです。このアートマンは後に「我」と漢訳されました。
しかし、お釈迦さまは、「全ての存在は相互に関係し合って生じたり滅んだり(縁起)して、それらは絶えず変化し続けている(諸行無常)のだから、その中で変わらずにいる実体はない(諸法無我)」ことを明らかになさり、アートマン(我)を否定されたのでした。
さらに、「人」「物」「状態」「思い」など因縁(105号参照)によって作り出されたもの(有為)だけではなく、「原理」「法則」など因縁によって作り出されたのではないもの(無為)までも全てが無我であるというのです(なんだか分かるような分からんような)。
そんな無我の思想が、お釈迦さまの教え(仏教)の独自性となっているのであります。

では、少し分かりやすく考えてみましょう。「無我」ということは、本来は全ての存在の間に境界線(区別)もないということです。しかし、私たちは「私」「あなた」と区別をして生きており、また、区別をせねば生きていけないのも確かですが、この区別が苦しみの種になっているのです。
「私」にこだわって離れられない有り様を仏教では「執著」といっています。そこで、無我の教えを依り所として。執著から離れようとするための合理的な思考と実践していく道(仏道)をお釈迦さまはお説きくださっているのです。

無常で無我だからこそ、私たちは自由なのであり、自己を磨き続けていくことができるのですね!

なもあみだぶつ♪

QUIZ

仏教という宗教を一言で表すなら「〇〇の完成と慈悲の実践」といわれます。
さて、〇〇に入るのはどれでしょう?

①執著 ②我(アートマン) ③智慧

☆先月の答えは「①名号」で六字名号でした!

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞