発行:2022年1月
あけましておめでとうございます。今年もまた新たな年をむかえることができ、おめでたいことであります。
この年末はコロナの谷間にあたりましたので、帰省されたり、また、ここ数年集うことをためらっていた家族や友人と一緒に少し賑やかなお正月を過ごされた方もおられたのではないでしょうか。
さて、一方で、下記の句は新たに都市を重ねることは「死」に近づく一歩であり、手放しでは喜ぶことができないという、一休宗純の言葉であります。
年を重ねると次第に味わうことになる寂寥感(せきりょうかん)ですが、それでも自分の死のこととなると、なるべく考えることなく、目をそむけていたいのか、最近は霊柩車の姿も見たくないという人が多いのには驚かされます。そして霊柩車が通るときには、親指を隠さないと今度は自分の親が霊柩車に乗ることになる・・・というジンクスが存在するのにもびビックリです。(もちろんそんなことはありません!)
こういう私だからこそ、阿弥陀様が私達の生死問題を引き受けなければならなかったのだと、つくづく思わされます。
門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし
一休宗純
以前、テレビ番組で「日本では宮型霊柩車がはやらなくなり多くの自治体で乗り入れ禁止となっている」事を調査報告していた。多くは高齢者の多い地方の自治体の反対で、火葬場を作るのはOKとしても、霊柩車が通るのはNGだということらしい(そもそも、火葬場一つ作るのだって大モメだったりしますね)。“何故か”という理由を聞いてみると、高齢者(60歳以上)達に、「死」を意識させてしまうからだということだ。「他人事とは思えない」という、身に迫る思いが、霊柩車を見るだけで嫌悪感を抱くことにつながるらしく、これを聞いてビックリしたのである。と同時に「他人事と思わず、常に死を意識してこそ、人生が充実するのである」と仏教的に勉強してきた私としては、何と軽薄な考えであろうかと思ってしまった。欧米でも「メメント・モリ(死を忘れるな)」という言葉が大切にされているというのに。。。つまり、「死を忘れていたい」というのが、今の日本の高齢者の意識なのだそうだ。この考え方に同調する心理学者もいて、常に死を考えている人は、死を意識しない人より早く死ぬ傾向があるという。一方で若い人は(特に子供にとっては)、死を意識させることは、「利他の行動」につながるから、好ましいとのことである。
ところで、日本では忌み嫌われている宮型霊柩車だが、モンゴルでは大人気なのだそうだ。元々は日本へ行った力士たちからもたらされた話だったらしいが、ピカピカの豪華な外観に好印象で「死者を豪華に送ってあげたい」というモンゴル人の考え方もあり、まずはモンゴル一の大寺院の僧侶が導入したところ、これがあたかも「走る寺院」のように見えて立派だということで、これが仏教の発展・進展につながるのでは?!と大絶賛だったらしい。
ねらいは当たり、今や一大ブームの宮型霊柩車、確実に受注が増加し、老若男女問わず大人気らしい。金ピカなのがまた良いらしく、この「金色」というのは特別感があり、生後7ヶ月にもなるとすでに金色に特別な反応を示すということである。
ところでこの霊柩車・・・何と今や一台一万円で売られているというから、二度ビックリである。。。
最後のクイズとなります。この願海寺新聞は来月100号を迎えますが、創刊号は何年何月だったでしょうか?!
1. 1211年5月
2. 1945年8月
3. 2013年11月
☆先月の答えは「2.源空」でした!