願海寺新聞 第89号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第89号

発行:2021年3月

こんにちは!少しずつ春っぽくなってきましたね!毎朝7時からの本堂でのお勤めも、朝日のさわやかさを感じられるようになってきました。みなさまどうぞお参り下さいね。朝のお寺時間は清々しく一日をスタートできるのでオススメですよ!(稀にお休みの場合がありますので、お電話or各種SNSにてご確認下さい)

さて、先日の積雪時に雪かきをしていましたところ、腰を痛めてしまいました。病院に行ったところ大したことはなかったので安心していますが、気を付けないといけませんね…。ところで、その病院では大変たくさんの患者さんがいらしていました。人間、誰もが老いの苦しみ、病いの苦しみを抱えているわけですね。これを仏教では“生老病死”といいます。老いて、病んで、必ず死んでいかねばならないのがこの私です。身体がどんなに健康でも、必ず死んでいくんですよね。だからこそ、人間には身体の健康だけでなく、阿弥陀如来からの願いの声(悟りの力)を聞き、真に生老病死を超えていける道に遇うことが大切なのだなあということを病院の待ち合い室で考えておりました。

合掌 南無阿弥陀仏
(巧弦) 

われかならず聖(ひじり)なるにあらず、
かれかならず愚かなるにあらず、
ともにこれ凡夫(たたひと)ならくのみ。

聖徳太子『憲法十七条』

今年は聖徳太子1400回忌!

宗教ってなあに?~日本編⑦~

鎌倉仏教ムーブメントについての考察がしばらく続いております。私たち浄土真宗も鎌倉仏教の一派ですので、つい熱が入って長くなっています(笑)。

この鎌倉仏教ムーブメントは、国家や貴族のためとなってしまっていた仏教(信仰)が民衆へと広まり、現在の私たちへ連なるルーツとなる大きな宗教革命でした。
ですが、あくまでも中世日本における仏教の中心は、古くからの奈良仏教の6宗と、天台宗・真言宗でした。それら8宗にとってかわって鎌倉仏教がメインストリームになったわけではなく、まだまだアンダーグラウンドな勢力でしかありませんでした。

ということは、私たちは「親鸞聖人が浄土真宗を開かれた」と聞いたときに、なんとなく京都の本願寺の立派な伽藍をイメージして、親鸞さまもさぞ裕福に暮らされたのだろうと思いがちですが、それは誤りなのであります。
親鸞聖人(以下・宗祖)は生涯ご自身のお寺は持たれなかったと考えられており(ただし宗祖が開かれたという伝承のお寺もあります)、ご往生をなさったときのお住まいは弟さまのお宅だったそうです。もちろん宗祖はたくさんの方から尊敬された僧侶でありましたが、決して優雅な生活を送られたわけではなかったのでした。

「本願寺」というお寺は、宗祖が開かれたのではなく、もとは親鸞聖人のお墓として始まりました。そのお墓を子孫が守っていくという体裁だったわけです。そして「本願寺」の寺号は宗祖のひ孫である第三代・覚如上人のとき、1321年からです。もちろん、初期・本願寺教団は現在のような勢力ではなく、天台宗の末寺という位置付けでありました(宗祖も9才で天台僧として出家・得度され比叡山にて修行・勉学に励まれたのでした)。現在のような「浄土真宗」という宗派として成立していくのは、もっと時代が下ってからのことなのですね。

以上、鎌倉仏教が勃興してもなお、日本における宗教界(仏教)は「鎮護国家」のためとしてが主流であり、宗祖から初期・真宗教団としてもその勢力は大きなものではなかったということを押さえて、鎌倉仏教ムーブメントについては終わりと致します!

なもあみだぶつ♪

クイズ

京都・西本願寺にはお堂が2つあります。
向かって左が「御影堂(ごえいどう)」、では、現在修復中の向かって右は何堂でしょうか?!(東本願寺は逆)

①根本中堂
②阿弥陀堂
③広貫堂

☆先月の答えは右ページのコラムに!(笑)

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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