願海寺新聞 第96号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第96号

発行:2021年10月

涼しい秋の折、いかがお過ごしでしょうか?我が家では、先月より息子たちの中で虫ブームが到来です。先月いただいた鈴虫は、今だにキレイな声を聞かせてくれていますが、長男は、お友達の影響でカマキリを捕まえてきました。生き餌の必要があるカマキリですが(一部、プリンやヨーグルトでも動かせば食べるという話も!)ある日大きなトノサマバッタを食べているのを見て私が「残酷だねえ」と言ったところ、長男は「人間のほうがよっぽど残酷だよ。人はどんどん殺して、どんどん食べて、余ったら捨てるでしょ」と言いました。ナルホド、本当にそうだなと目が覚める思いでした。
仏教では、今あるもの以上に欲しがらず、満足して生きる姿勢を「少欲知足(欲を少なく、足るを知る)」と言います。カマキリの飼育を通してそんなことを考え、学ばせていただいたのでした。

さて、11/3は当寺 報恩講です。皆様どうぞお参り下さいませ。
(智)

たとえどんな苦難にこの身を沈めても、さとりを求めて耐え忍び、修行に励んで決して悔いることはない。
【たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止(お)くとも、わが行(ぎょう)、精進にして、忍びてつひに悔いじ】
仏説無量寿経』「讃仏偈」

宗教ってなあに?~日本編⑭~

明治時代は開国により国際化が進み、急激な近代化の波がやってきました。
その中で、国民の統率を図る必要があった明治政府は、国家として神道を利用していきます。そこには江戸時代以来の海外の宗教(キリスト教)が国内に流布することへの強い危機意識も強くありました。
神道の国教化(国家神道)は徐々がエスカレートしていきます。しかし、国民の信仰や精神の自由をも奪い支配を強めることによって、ついには、自らをブレーキする機能までも損なわれてしまっていくのでした。
もちろん、これはどの宗教が良いとか悪いとかを言いたいのではありません。
「ただ一つの絶対的な正しさ」を掲げた支配構造においては、それぞれの多様性なんてものは認められません。ですから、社会全体がそのような誤った流れとならぬよう、私たちは一人ひとりがしっかり世の中の動向を見て、極端な方へ偏らないように注意する必要があるということです。
そのためにも、私たちは「宗教」についてきちんと知り、考えていくべきでしょう。「宗教」には共同体(コミュニティ)を安定・持続させる作用がありますが、一方では社会的な価値観を揺さぶってしまうという面もあります。伝統的な宗教には、長い歴史の中で構築されてきた、バランスが崩れないよう保とうとする機能があります。それを学ぶことは、変化が激しくすぐに極端な方向へ偏ってしまいがちな現代社会においての私の立ち位置への気付きをもたらしてくれることでしょう。
そして、私たちは何を選び取り、何を選び捨てていくべきであろうかという知恵にもつながっていくはずです。
たとえば、物質的・経済的な発展・成長や、「勝ち・負け」にとらわれる視点から脱し、今あるもので満足・感謝し、分かち合うことを喜ぶ平等な社会を目指そうという道も、古くから宗教において大切されてきた教えなのであります。

なもあみだぶつ♪

クイズ

現在の願海寺 本堂は戦後に再建されたもので、北向きに建てられています。
では、明治7年にこの清水町に来てから戦災までの本堂は、どの方角を向いて建っていたでしょうか?!
(ヒント:阿弥陀さまのお浄土といえば…!)

①北東
②西
③南

☆先月の答えは「2.梵鐘(つり鐘)」でした!

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞