願海寺新聞 第4号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞

願海寺新聞 第4号

発行:2014年2月

こんにちは。今年ももう2月に入りましたが、雪も降らず何だか季節感がありませんね。さて、2月3日は願海寺の前々坊守(釈尼浄薫)の祥月命日です。雪の降る寒い日でした。いつも明るくて笑顔が可愛らしかった前々坊守はお浄土へと往かれました。
祥月命日は、家族で故人の事をあれこれ語り合うのもいいかもしれません。その中で、今は仏様となっていつも寄り添っていて下さるご先祖様へ、改めて感謝の気持ちが起こってきます。誕生日と同じくらいに、浄土へ往き生まれた日=祥月命日を大事にしていきたいものです。智

願海寺あれこれ

願海寺の僧侶の名は「巧(ぎょう)」の一字を受け継ぐ伝統があります。現住職(32代)は“巧隆(ぎょうりゅう)”、前住職(31代)は“巧演(ぎょうえん)”そして、ついでですが(笑)、私は“巧弦(ぎょうげん)”です。
では、この伝統はいつが始まりかといいますと、願海寺6代“巧賢(ぎょうけん)”からです。なんと“巧賢”は本願寺6代門主“巧如(ぎょうにょ)”上人の実の息子なのです!そこで、その「巧」の字を代々受け継ぐことになったというわけです。
“巧賢”の生年は不明ですが、1394年頃であると考えられます。なお、本願寺では2代“信如”上人、3代“覚如”上人以来、現在のご門主である“即如”上人まで、代々「如」の字を受け継いでいます。

Q『南無阿弥陀仏ってなあに?②』

1月号において、「南無阿弥陀仏」のお念仏は感謝の気持ちで称えさせて頂くのですとお話致しました。では、今月はそこを掘り下げて、阿弥陀さまの“こころ”について考えてみたいと思います!まず、1月号でも記しましたが、今まで「お願いします」という思いで「なもあみだぶつ」と称えていた方もおられるかもしれませんが、これは大きな誤りであります。なぜなら、お願いをするのは、自分の欲求を満たすための要求だからです。
人間の欲望は、瞬間的には満たされても、また次の欲望へと膨らむばかりです。この欲望こそが私たちが苦しんでいる原因なのです。
大切なのは、願い(欲望)を実現させたくて仏にすがるのではなく、阿弥陀さまからの「ありのままの今の自分でも、たくさんの命と様々なご縁によって生かされている、大変喜ばしいことなのですよ」という呼び掛けに気付き、真実に目覚めることです。ただ、そうは言っても、大変弱い自分でありますから欲望は消えません。
ですが、消えなくて良いのです。欲望は消えませんが、欲望の消えない愚かな自分であると自覚することによって、その欲望に支配されない心の強さを育んでいけるのです。阿弥陀さまは、そんな愚かな私にこそ、救いを差し向けて下さっているのですから。自分の内面に潜む、絶対に消せない煩悩という炎に気付かせて頂けることと、自分は「生きている」のではなく「生かされている」のであると気付かせて頂けること、この二つこそが阿弥陀さまからの大きなご利益であります。
そして、私もいつか仏と成らせて頂くべく、それに相応しい生き方をしていかねばなりません。今日も生かされている命に感謝し、お念仏をさせて頂きたいものです!
なもあみだぶつ♪
今月は少し深い難しい内容になってしまいましたが、来月からもどうか懲りずにお付き合い頂ければ幸いです!弦

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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