願海寺新聞 第33号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第33号

発行:2016年7月

倶会一処

こんにちは!はやいもので2016年も半分を過ぎましたね。
去年の暮れからを振り返りますと、私がお寺に入ったときに温かく迎えてくださった御門徒さまが何名も亡くなっていかれました。
亡くなられて、当然ながらとても寂しかったんです。でも、お参りに伺ってご家族の皆さんとお会いしてお話しをしていると、命のバトンがしっかりと受け継がれていることを感じました。「死で終わりじゃない」実感です。するとなんだかとても温かい気持ちになりました。「これは間違いなくお浄土に往かれて仏さまに成られている証拠だな」と感じたんです。お浄土から笑顔で見守ってくださっている、包まれている温かさがありました。そして、「自分も死を迎えたときには周りのみんなから『間違いなく浄土に往生していったんだ』と思ってもらえる生き方をしたいな」と思いました。とってもありがたいことです。今はまだ寂しさもありますが、いつかまたお浄土で会えるその日まで(倶会一処(ぐえいっしょ))、お念仏と共にこの世の命を頑張って生き抜こうと思います!なまんだぶつ なまんだぶつ♪ 弦

願海寺あれこれ

明治時代初頭、政府が国家神道を推し進める中で起きた廃仏毀釈の混乱の頃、願海寺は26代・巧英から27代・巧沖の時代でした。
27代・巧沖は明治24年(1891年)に45歳の若さで往生されましたため、26代・巧英が再住職として28代となりますが、その巧英もそれから6年後の明治30年(1897年)に74歳で往生され、次いで29代・巧昭が住職となります。巧昭は本願寺宗会議員も務めたそうです。
そして30代・巧宣、31代・巧演(前住職)、32代・巧隆(現住職)と続くのであります。
すなわち、現住職は32代目ではありますが、人数としては31人目となるのです。
800年を超える願海寺の歴史の重みを改めて感じさせられます。

Q『なんまんだぶって気休めじゃないの?』

仏教の教えは、その2500年もの歴史によって積み上げられた教義体系があるため、難解な面もあります。では、仏教徒として大事なことはそういった教義・学問を極めることなのでしょうか?決してそうではありません。仏教は仏道とも呼ばれるように、この私が実践することが肝要です。そして出家など特別なことではなく、この日暮しを送る中で実践する仏道、これこそが浄土真宗が「大乗(だいじょう)仏教の極み」と呼ばれる所以です。
じゃあ、その実践とは?それが「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」のお念仏であります。
お念仏は物理的には自分の身体・声で称えているのは確かでありますけど、お念仏なんて信じようともしなかったこの私からお念仏が出るということは、それは仏さまからの願いが私に届いているのです。そしてそのお念仏によって私の身のありようを常に省(かえり)みて歩む人生、これが真宗の仏道です。お念仏の心としましては食事の際の「いただきます」「ごちそうさまでした」も大切な仏道となります。なぜなら私たちは食事によってたくさんの命の恩恵を頂かなくては生きていけません。それは自分の命を生き長らせるために他の命の苦しみを思わず、その命を奪い、自らに取り入れ生きているということです。さらにはその味によって喜びまで感じている。これが殺したくなくても殺さずには生きていけない人間の姿です。その事実に対しての懺悔(ざんげ)と感謝の心を持つことが仏道を歩む基本的立ち位置となるのです。
ですから、どんなに勉強をしているえらい学者のお坊さんであったとしても、きちんと「いただきます」と言えないようであるなら仏道を歩む仏教徒とはいえないでしょう。
逆に、たとえ文字が読めない人であったとしても、我が心の罪の深さを知り、懺悔と感謝のうちに日々を送る人こそ仏道を歩む真の仏教徒でありましょう。
もちろん、これを書いている私がしっかりできているというわけではありません。私は本当に愚か者です。また、人間とは「できた」と思った瞬間に落とし穴があります。そして、そんなうぬぼれの心に気付かせて頂けるのも、私のことを哀れむお念仏の心なのであります。
お念仏は決して気休めなどではなく、私がこの一生を通して育てられていく道なのです!
なもあみだぶつ♪

行事案内

・8/14(日)10:00~ 願海寺・初参式
・8/15(月)18:00~19:30 楽しい仏教入門
・8/16(火)13:00~14:30 楽しい仏教入門

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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