願海寺新聞 第34号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞

願海寺新聞 第34号

発行:2016年8月

怨みに報いるに以ってしたならば ついに怨みの息むことがない
怨みをすててこそ息む

こんにちは!私事ですが、この7月で長男が5歳になり、8月には次男が1歳になります。日々の成長を嬉しく感じると同時に、今日という日は人生で今日しかないのだから、もっとたくさん接してあげないとなと反省する毎日です。人生は難しい!さて、左上にもあります9/6(火)柳町の正龍寺様にて行われる「仏教講習会」にはご講師として森田眞円和上というスゴイ先生が先生がいらして下さるのですが、なんと私・巧弦も副講師として副講義をやらせて頂きます。もちろん皆様にもご参加頂けますので、よろしければ是非ともいらしてくださいませ!では、暑い夏を身体に気をつけ共に乗り切りましょう! 弦

願海寺あれこれ

今月は願海寺本堂におわします阿弥陀如来像(ご本尊)についてです。
富山市中心部の寺院は第二次世界大戦の戦災によってほとんどが焼失しており願海寺もその一つです。ですが、戦況の悪化と空襲が富山に来るという情報によって、願海寺ではご本尊をはじめ貴重な宝物も疎開をしており、その多くは戦災を免れました。
この願海寺の阿弥陀如来像は、いつ頃に造られたものかという正確な伝承がありません。
ですが、真宗寺院のご本尊が現在のような木像とされていったのは江戸時代初頭の1601年頃からであり、願海寺はその1601年に越中では一番最初に木像を本山より下付されたという資料が残っています。
ですので、このときから400年以上も伝わるご本尊であるかもしれません。このときのものではないとしましても、明治の廃仏毀釈後の本堂再建時(1874年頃)までの間に造られたものであるのは間違いなさそうです。何百年も多くのご先人方のよりどころであった、そして今現在の私たち、さらには未来の子孫たちのよりどころとしていてくださるご本尊です。大切に、しっかりしっかりと受け継いでいかねばという思いであります。

Q『文明があれば宗教はいらないの?』

私の住ませて頂いている家ではスイッチ1つでいつでも明るくなります。
スイッチ1つで火が着きます。スイッチ1つで涼しい風も暖かい風も出ます。
蛇口をひねれば飲めるお水が24時間いつでも出ます。それどころかお湯まで出ます。
1人でいても、小さな機械で遠くにいる人ともすぐ会話ができたり文字を交わせます。
私は生まれたときからこのような文明社会の中にいます。私の5歳の長男もこれが当たり前だと思っています。ですが、この文明は本当に当たり前ではないのです。
2015年12月に富山市で水道水の異臭騒ぎがあったことは記憶に新しいでしょう。大雨によって浄水場に流れ込んだ土砂に混じったカビが異臭の原因だったそうです。やはり、私たちが快適に過ごしているこの文明環境は当たり前ではないのです。
しかしながら、文明にすがりつき手放すこともできないのが私たちの抱える悲しい現実です。
では、この文明社会がもっと発達すれば私たちの苦しみは無くしていけるのでしょうか?
人間は「老いたくない、病みたくない、死にたくない」と願うわけですが、もしそんな社会が実現したならば、たちまちに地球を人が埋めつくし、食糧難などで争いが起きるでしょう。
やはり人はこの世に生を受けた上は、この世での死を迎えることが自然なのです。その死が終わりではなく始まりである、生と死はつながっている、そう考えるのが仏教です。この世での命を終えるとお浄土に往(い)き生まれさせて頂く。大いなる命の流れに還(かえ)っていくのです。「仏とか浄土とか、そんなことは作り話じゃないか」とあざ笑う人もいます。かつては私もそうでした(笑)。でも、還っていく世界(浄土)があるって、そういう安心感のある人生って素晴らしいと思うんです。日頃の生活でも帰る家がなかったら疲れ果ててしまいますよね。私たちの“命”も還っていく場所があるからこの苦しみの世を生き抜けるわけでしょう。
そんな「安心して還ってこい」と願われている阿弥陀様からのお声(南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ))に皆様と共に耳を傾け、共に喜んでいければ幸せだなと常に念じております。
なもあみだぶつ♪

9/6(火)10:00~
仏教講習会@正龍寺
9/7(水)10:00~
檀波羅蜜法要@正龍寺
10/24(月)18:00~19:30
10/30(日)13:00~14:30
楽しい仏教入門@願海寺
11/03(祝)10:00~
11/04(金)10:00~
報恩講@願海寺

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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