願海寺新聞 第35号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第35号

発行:2016年9月

花は咲く縁が集まって咲き 花は散る縁が集まって散る ひとり咲きひとり散るのではない

こんにちは!いよいよ9月です。まだまだ残暑が厳しいですので体調には気をつけましょうね!さて、『楽しい仏教入門』は10月より始まりましたので次回で一周年となります。正直なところなかなか参加者が増えず悩んでいますが、毎回ご参加下っている皆様の熱心さに勇気をもらっています。仏教は「私の命の問題」です。御自身の命と向き合う学びの場として、どうか皆様ご参加下さいね♪ 弦

願海寺あれこれ

先月、ご紹介を致しました阿弥陀如来像に続きまして、71年前の富山大空襲をはじめとした数多くの戦災や法難を乗り越えて願海寺に伝存する寺宝をご紹介していきます。
まずは、願海寺初代・願海房信性(がんかいぼうしんしょう)が親鸞聖人からいただいたとされる“親鸞聖人御真筆十字名号”(帰命尽十方無碍光如来)です。
これは親鸞聖人が越後から関東に移られる際(1214年・聖人42歳)、願海房に越中(富山)への布教を託されたときに授けられたものと伝わっておりまして、そのときには九字名号(南無不可思議光如来)もあったそうなのですが、これは歴史の中で失われてしまったため、現在は十字名号のみが寺宝として現存しております。
私の推測ですが、願海房と親鸞聖人は越後で別れられた後も手紙などのやり取りといった関係は絶えずに続いていたはずであろうと考えています。そして、この十字名号は親鸞聖人が60歳を過ぎて関東から京都に移られた後に与えられたものという可能性もあるのではと思っています(真宗高田本山・専修寺様に伝わる親鸞聖人80歳前後とされる十字名号とそっくりなのです)。いずれにせよ、このあたりは確かなことはなかなか分かりません。ですが、間違いないのは800年前後という長きに渡りずっと願海寺に伝わってきたという歴史の重みが確かにあるということです。

Q『宗教って私には無関係じゃないの?①)

「宗教」といいますと「宗教団体」を連想される方が圧倒的に多いようです。さらに現代では、宗教を装ったカルト集団とそれらに起因する事件・問題がたくさん起き、「宗教」と聞くと拒否反応を示される方がたくさんおられます。
しかし、「宗教心」や「宗教性」という意味で見た場合、これは人間なら誰もが必ず持つものであるといえますし、現に私たちの日常には宗教心によるものが溢れかえっています。たとえば、朝テレビをつければ今日の占いが気になっていませんか?厄年や方角といったものを気にしたり、「4」「9」といった数字から「死」「苦」を連想して避けようとしたりしていませんか?親しかった人が亡くなると「天国で楽しく過ごしてね」「またそっちいったら会おうね」などと思う心も宗教心です。日頃は「自分は無宗教」「死後なんて信じない」と言いつつ、実は無意識に死後の世界を肯定し、死後の再会を願っている立派な宗教心があるのです。
お祭りだって宗教が起源ですし、さらには結婚も通過儀礼であり宗教行為なんですよ。このように私たちは宗教の中に生きているというほど宗教性に溢れた生活を送っているわけです。最近でもスピリチュアルや風水といったような宗教的なものが大流行していますよね!?こう考えますと、現代人は宗教心が無いどころか宗教心にとても富んでいるといえるのです。ですから、『その宗教心を正しく育んでいくことが大切』です!(ココが重要です!)
浄土真宗では占いや現世祈祷(げんせきとう)にたよりません。それらは全て「思い通りにならないことを思い通りにしたい」という自分の都合だからです。宗教の目的は自分の欲望を満たすことではありません。よくある「ご利益がありそうだからあれもこれも」というよな宗教との付き合い方(用い方)は自分がさらに苦しむのであって、親鸞聖人の教えでは非常に厳しく誡められています。「宗教」を正しくお伝えしていくことはお寺の、僧侶の重要な任務です。皆様が心豊かに生きていける世の中の実現に貢献できるよう私も精進していかねばなりません! なもあみだぶつ♪

行事案内

“第7回楽しい仏教入門”
■10/24(月)18:00~19:30
■10/30(日)13:00~14:30

“願海寺報恩講法要”
■11/03(祝)10:00~12:00頃
■11/04(金)10:00~12:00頃

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞