発行:2017年5月
こんにちは!我が家の横を流れる、いたち川沿いの桜はもうすっかり花びらを落とし、はや新緑の季節を思わせるよそおいになってきました。あっという間の5月です。年々、日々が過ぎるのを早く感じるようになるといいますが、全くその通りだと思うと共に、毎日同じ事の繰り返しで、何の変哲もなく月日だけが流れ去ることに虚しさすら覚えることもあります。しかし、この「何事もない」という事が実は一番幸せで、“有り難い”事なのではないかと、昨今のものものしいニュースを見ていて感じることであります。長男の幼稚園の園長先生が、「お念仏は両手を合わせる行為です。これはすなわち、どちらの手にも武器はありません、争いません、ということの現れです。」とおっしゃいました。両手を合わせて、ただお念仏をさせていただく、「何事もない」平和が続く生活を願ってやみません。 智
生があれば死があり 幸いがあれば災いがある 善いことがあれば悪いことがある
人はこのことを知らなければならない
愚かな者はただいたずらに災いをきらって幸いだけを求めるが
道を求める者はこの二つをともに超えて そのいずれにも執着してはならない
「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」と続いてきましたが、今回は「求不得苦(ぐふとっく)」についてです。
「求不得苦」は「欲しいものが手に入らないという苦しみ」です。ここでいう「もの」は物質だけに限らず、地位や名誉、心身の健康ということも指されているわけです。きっとどなた様にも思い当たる事柄がいくつかあるのではないでしょうか?!
お釈迦(しゃか)さまは私たち人間の欲望についてこうおっしゃっています。
「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。」(『ダンマパダ(186)』)もし、お金が空から降り積もってたくさんのお金を得たとしたら、私たちはどうなるでしょうか?きっと「もうこれで充分」とは思えずに「もっと欲しい」と貪ってしまうのでしょう。そして持ったら持ったで、「誰かがこのお金を盗みにこないだろうか」なんて心配事も増えるのです。持てないことは確かに苦しいのですが、持つということもまた苦しみの連鎖を招くことになるわけです。人間の欲望がある限り苦しみはつきることがないんですね。
では、その苦しみに私たちはどのように対処をしていけば良いのでしょうか?
浄土真宗(じょうどしんしゅう)の根本経典である『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』には「少欲知足(しょうよくちそく)」という御言葉があります。意訳しますと「欲を少なくして満足することを知る」となります。仏教というと欲望(煩悩(ぼんのう))を完全に断てと説かれそうですが、そうではない点にご注目頂ければと思います。肝心なのは、「欲しいものは本当に必要なものであるのか?」「欲しいものは最低限の必要な量を超えてしまってはいないだろうか?」ということです。
その点検を通して、欲は断てずとも、欲を減らしていく努力を続けていくことが大切なのです。そして、「もっともっと」と貪るのではなく、「これで充分」「もう満足」「ありがたい」と思わせて頂けるよう心を整えましょうということを「少欲知足」から学ばせて頂けます。現代社会は欲望への刺激が止みません。だから、貪りの心へ偏らないために「少ない欲で足るを知る」という教えを頂き、健やかな心を育ませて頂きたいものです!
なもあみだぶつ♪
永代・祠堂経法要 6/4(日)10:00~(第一座)
13:30~(第二座)
第12回楽しい仏教入門 6/22(木)13:30~15:00
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