願海寺新聞 第47号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第47号

発行:2017年9月

こんにちは!この新聞は8月下旬に書いていますのでまだまだ暑い気候ですが、実際に皆様のお手元に届く頃には秋らしさも感じられるようになっていますでしょうか?
さて、第12回目となった8月の『楽しい仏教入門』は初参加の方もたくさんいて下さり、これまでの中で最多となる参加者数でした!拙い内容の会ではありますが、皆様に仏様とのご縁を深めていって頂けるような会にしていけるように、これからも精進していきます♪まだ参加されたことのない方も、どうぞお気軽に遊びにいらして下さいね。お持ちの知識・教養や世間体でのつながりなどは全く関係なくどなた様も歓迎致します!仏教は「自分の望みは思い通りにならないものだ」と教えてくれます。それはとても厳しいことです。しかし同時に「この世に運命はない」と説きます(右にある「縁起」です)。それはつまり、今この瞬間の思いや努力によって明日は変えていけるということです。私たちに大きな希望と勇気を与えてくれる教えが仏教であります。 合掌 弦

すべての者は暴力におびえ すべての者は死をおそれる
己が身をひきくらべて 殺してはならぬ 殺さしめてはならぬ

Q『阿弥陀如来の救いってどういうこと?①』

7月号、8月号とで浄土真宗(じょうどしんしゅう)のご本尊(ほんぞん)である阿弥陀如来(あみだにょらい)について考えさせて頂きました。
少し分かり難(にく)い点もあったかもしれませんが、一言でその特徴を申しますならば「どんなものも必ず救(すく)い摂(と)り仏と成らしめるはたらき」といえるでしょう。ですが、ここでよく起きる誤解が「私が何もしなくても死んだら救ってくれる」というものです。
浄土真宗は仏教であり、仏教(仏道)であるからには教え(経典)があって、その教えを信じての行(ぎょう)(修行)というものが必ずあります。確かに真宗には滝に打たれたり、火の上を歩くといった苦行など、我が力をたのみ善根功徳(ぜんこんくどく)を積む自力(じりき)の修行はございません。
それはなぜか?もし阿弥陀如来の誓願(せいがん)が「心を静めて火の上を歩ける者を救う」だったとしたら、一体どれだけの人が救われていくでしょうか?少なくとも私には無理です。では、真宗の行とはどんなものなのか?それは「我が国に生まれたいと思ってたとえ一回でも我が名を称えるならば必ず救う」という阿弥陀如来の誓願にもとづいての「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」と声に出して称える「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」です。その一つのみです。非常に簡単でございます。称名念仏は寝たきりの人であっても申すことができるわけです。じゃあ、簡単な念仏は厳しい修行に劣っているのかといえば決してそうではありません。「どんな人をも必ず救う」ためには「誰もが行えるもの」でなくてはならなかったのです。そして「ただ南無阿弥陀仏と念仏するだけで誰もが必ず救われる」ために、阿弥陀如来のほうが気の遠くなる永い永い時間をかけて厳しい修行をして下さり、その功徳(くどく)を全て込めた尊い「南無阿弥陀仏」を完成して下さったのです。ですから私たちはその念仏を疑わずに称えさせて頂く、ただそれのみです。念仏以外の行は捨てるのです。もし「行」をしなかった場合どうなるのか?仏教では自分の行為は全て自分自身に結果として起きるという縁起(えんぎ)・因果(いんが)(因縁果(いんねんか))の法則(真理)が大前提でありますから、生き物を殺し、ウソをついて生きているこの私は地獄(じごく)へと一直線です。
来月も引き続き考えさせて頂きましょう!
なもあみだぶつ♪

行事案内

お経を称える会 9/15(金)19:00~20:30 
        9/16(土)15:00~16:30

楽しい仏教入門 10/7(土)18:00~19:30
        10/8(日)13:30~15:00

報恩講法要   11/3(金・祝)11/4(土)
        両日共に10:00~14:00

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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