願海寺新聞 第50号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第50号

発行:2017年12月

こんにちは!去る11月3日、4日に願海寺報恩講(ほうおんこう)法要を勤修させて頂きました。心より御礼申しあげます!今年は新たな試みでお斎(とき)(昼食)に私・巧弦がスパイスから作ったカレーもご用意してみました!具材はいとこ煮(親鸞聖人の遺徳を讃えた”遺徳煮”が語源とする説があります)の具材を用いまして、名付けて「遺徳カレー」でした♪好評だったかは分かりませんが(笑)、また次回もご用意できればと思っております!そして、カレーだけではなく法要の内容も来年からは皆様に「おっ♪」と感じて頂けるものにしたいと早くも計画を進めております。
「伝統と改革」を意識して、老若男女どなともが仏様からの光との出遇いを喜べる法要、そして寺作りに努めていかねばなりません。来年は永代経(えいたいきょう)法要が6月3日(日)、報恩講法要が11月3日(土)、4日(日)となります。お寺は初めてという方も、どうぞスッキリしにお参りにお越し下さいね。
さて!この『願海寺新聞』もおかげ様で50号を迎えることができました。2013年11月号より始まりまして、目標は「100号!」でしたが、やっと半分?もう半分?(笑)これからも初心を忘れず、毎号毎号心を込めて作ります♪
合掌 弦

尊敬と謙遜、満足と感謝、そして学び、これがこよなき幸せである。

Q『お経を読めば念仏はいらないの?』

毎月のお参りやご法事などに伺いますと、お仏壇(ぶつだん)にたくさんのお供え物がされていたり、おつとめ(勤行(ごんぎょう))の際にはご一緒にお経・お聖教(しょうぎょう)を読んで下さる方がおられたりして、なんともありがたいことだなといつも思わされております。
先月号にて「仏教は追善供養(ついぜんくよう)ではない」と綴(つづ)らせて頂きました。すなわち、お供え物も経典などを読むことも、それらは私たちが仏様に向けて功徳(くどく)を届けているのではないということです。全ては仏様の方からこの私に届けられている願いを頂き、その御恩に対する感謝をさせて頂いているわけです。それらの行いについて、親鸞聖人(しんらんしょうにん)が尊敬された七高僧(しちこうそう)の一人である善導大師(ぜんどうだいし)は浄土(じょうど)に関する経典(浄土三部経)から読誦(どくじゅ)・観察(かんさつ)・礼拝(らいはい)・称名(しょうみょう)・讃嘆供養(さんだんくよう)の5つを正行としてお示し下さり、さらにはその5つの中で称名こそが私たちがまさに浄土に往かせて頂く身に定められる行(正定業(しょうじょうごう))だと明らかにされました。そして、称名以外の4つの行は称名を傍らで支えるための助業(じょごう)とされます。
つまり、どんなに立派なお供え物でも(讃嘆供養)、どんなに経典を読もうとも(読誦)、「南無阿弥陀仏」の念仏(称名)が欠けていては真宗の仏道は成立しないわけです。どうも私たちは助業にばかり気を取られて最も肝心な正定業(念仏)が抜け落ちてしまっているのではないでしょうか?
仏教は「死んだら誰でもホトケ」ではありません。この私は阿弥陀如来(あみだにょらい)の誓いである称名念仏によって救われていくのです。因縁果(いんねんか)(原因と行いと結果)の道理です。「南無阿弥陀仏」は如来からの「光」です。光に照らされるからこそ我が心の愚かさに気付かせて頂ける。気付かされた上は己の愚かさを反省し、つつしもうとする生き方が育まれていくのです。それが光を仰ぎ生きていくということです。そして、光に導かれ歩むということは、現生では私が育てられていくわけですが、それは浄土へとつながっている道の上にすでにいるということであります。
なもあみだぶつ♪

行事案内

第14回楽しい仏教入門 12/15(金)18:30~20:00 
           12/16(土)13:30~15:00

お経を称える会 1/18(木)18:30~20:00 
        1/19(金)13:30~15:00

第15回楽しい仏教入門 2/16(金)18:30~20:00 
           2/17(土)13:30~15:00

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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