願海寺新聞 第51号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第51号

発行:2018年1月

こんにちは!新しい年が始まりました。本年も願海寺をどうぞ宜しくお願い致します!さて、『北日本新聞』様の12月18日号(朝刊)に『願海寺新聞』の記事が掲載されました!とても大きく載せて頂いており、とても驚きました(笑)。そして、新聞をご覧になった方々より郵送希望などのお電話をたくさん頂いたり、またご感想のお電話やお手紙なども頂戴しております。このような尊い仏縁に心より感謝を申しあげますと共に、これからも『願海寺新聞』を宜しくお願い致します♪
昨年を振り返ってみますと、私が僧侶になってから初めて願海寺・本堂でのお葬式、そして結婚式のご縁がありました。お寺には冠婚葬祭の業者様のような細やかで行き届いたサービスはありません。ですが、お寺での儀式というのは、とても温かく、本当に良いものだと感じました。この温かさこそ現代日本人が便利至上主義の中で忘れてしまった心なのではないでしょうか。そして、この温かな心こそ、これからますます世の中が濁っていきそうな時代において。私がもう一度大切にせねばならぬことであろうかと思います。今年も皆様の健やかな心のために、お寺・僧侶が身近な存在となっていけるよう努力して参る所存です。
合掌 弦

少ない欲で満足することを知れば 苦しみは減らしていける

Q『厄除けや祈願って必要なの?』

この時期、「厄除(やくよ)け・厄払(やくばら)い」や、病気平癒(びょうきへいゆ)・商売繁盛(しょうばいはんじょう)といった「祈願(きがん)」などを目的に宗教施設などへ出向かれている方も多いのではないでしょうか?恐らく、多くの方は「宗教」に対して、「厄除け・厄払い」や「祈願」なそを行うためにあるものだとお思いかもしれませんが、浄土真宗(じょうどしんしゅう)ではそれらを行うことは決してありません。お釈迦(しゃか)様の説かれた教えがそうだからです。では、共に少し考えさせて頂きましょう。
私たち人間がこの世に生まれてきて確かなことはただ一つ「必ずこの私に死が訪れる」ことのみです。確かに私たち人間の感情として、死は辛く悲しく苦しいことですが、死んでいくということは世の真理に則った自然なことなわけです。そして、もし「死=不幸」と定義するならば、全人類みな不幸にしかなれません。それでは生きる意味も見出(みいだ)せません。生きていれば悪いことも起きて当然なのです。でずから、悪いことを忌(い)み避(さ)けて生きようとするならば、人生はずっと「厄」ということになってしまうでしょう。また、何か起きたことを霊(れい)や呪いや厄年といった根拠の無いものと関連づけることも仏教ではしません。全てはそれが起きる縁(えん)(条件)が整ったから起きた、ただそれだけです。(そこに理由付けをすると深い落とし穴にはまる危険が生じますので注意が必要です。)
私たち人間は世の真理を見ようとしないため、「厄除け・厄払い」「祈願」「お守り」「占い」などにすがろうとしますが、実はそのような自己中心的な「とらわれ(執着(しゅうちゃく))」から苦しみは生じており、さらにはまた自分自身によってその苦しみを連鎖(れんさ)させ続けています。その苦しみから抜け出すためには、まず「人間は必ず死ぬ。この世は思い通りにならぬ」と諦かに見る。そして「その苦悩の世を精一杯に生き抜いてくれよ」と私たちを照らし包んで下さっている阿弥陀如来(あみだにょらい)の御心を頂く、すなわち「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を聞く(=称(たた)える)のです。真宗は「南無阿弥陀仏」ただ一つです。如来の光を仰ぎ生きる念仏者には、迷信(めいしん)・俗習(ぞくしゅう)などに振り回されることのない健(すこ)やかな心が育まれていくのです。
なもあみだぶつ♪

行事案内

お経を称える会 1/18(木)18:30~20:00 
        1/19(金)13:30~15:00

懇親会     1/19(金)16:00~20:00

第15回楽しい仏教入門 2/16(金)18:30~20:00 
           2/17(土)13:30~15:00

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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