願海寺新聞 第67号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第67号

発行:2019年5月

こんにちは!去る4月20日に、今年から新しく立ち上げた『越中聞法倶楽部(えっちゅうもんぽうくらぶ)』という集いで『やさしい真宗おはなし講座』という法話会を開催致しました(会場は古鍛冶町の満徳寺さまにて)。たくさんのご縁が実ったことを喜ぶと共に、仏教の尊いみ教えが一人でも多くの方に伝わっていくよう、今後も励んでいく所存です。次回は7月6日に開催なので、また改めてお知らせもさせて頂きますね!
私、巧弦(ぎょうげん)個人としても、今年度より富山市の三輪病院さまより月1でのご法話のご縁を頂いたり、5月26日には真宗山元(やまもと)派の本山・證誠寺(しょうじょうじ)さま(福井県鯖江市)で行われるイヴェントにトークとギター演奏で呼んで頂いたり、願海寺としても5月17日に『子供食堂』の実施を試みることになったりと、皆様とのつながりの中で精一杯に頑張ることのできる喜びを感じています。仏さまからの智慧の光に照らされて、「共存」と「調和」の社会を目指して歩んで参ります。
合掌 南無阿弥陀仏 弦

あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。
至心に回向したまへり。

Q『どのお経を読めば良いの?~浄土三部経について①~』

浄土真宗(じょうどしんしゅう)で用(もち)いる経典(きょうてん)は『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』からなる『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』であることは57号でも綴りましたが、それぞれについて少し詳しく尋ねてみましょう。
『仏説無量寿経(略して大経(だいきょう))』は、宗祖(しゅうそ)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)が「それ真実の教を顕(あらは)さば、すなはち『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』これなり」とお示し下さっているように、阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願力(ほんがんりき)(一切の衆生(しゅじょう)を必ず摂(おさ)め取(と)るという誓(ちか)い)により信心(しんじん)(疑いのない心)を恵まれ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の名号(みょうごう)に乗じて浄土往生(じょうどおうじょう)を遂げ仏と成ることができるという教えが説かれています。『大経』は上巻・下巻とあり非常に長い経典でして、全文を一気にお勤め(読経(どっきょう))することは通常ありません。日常用のお経本には『大経』上巻にある『讃仏偈(さんぶつげ)』と『重誓偈(じゅうせいげ)』のみが掲載されていますよね。他に葬送儀礼(そうそうぎれい)においては、納棺勤行(のうかんごんぎょう)で『大経』下巻から『往覲偈(おうごんげ)』が、ご法事などでは『大経』全体から『四十八願(しじゅうはちがん)』『成就文(じょうじゅもん)』など特に大切な箇所を抜き出したものが用いられています。
では、なぜ『大経』は他の経典類より長いのか?それは簡単です。「南無阿弥陀仏ひとつで救われる」と聞かされても「本当か?」と疑うばかりのこの私がいるからです。仏教とは因果(いんが)(原因があるから結果がもたらされる)の教えであり、そこには救う側の阿弥陀如来(法)の因果と、救われる側の私(機(き))の因果があるわけで、そのことをお釈迦(しゃか)さまが懇切丁寧にお説き下さると大変な長さになったというわけです。もし、「南無阿弥陀仏の救い」が因(いん)を抜きにした果(か)だけの呪文(じゅもん)や魔法(まほう)であったならば、長い経典にはならなかったでしょう。でも、それは「因果の教え」ではなくなり、すなわち仏教でもなくなってしまいます。
肝要は、如来からの「あなたを必ず救う」という御心をそのまま頂くこと(信心獲得(しんじんぎゃくとく))が因となって現生には正定聚(しょうじょうじゅ)・不退転(ふたいてん)に住し、この命を終えれば浄土に往生し仏に成るという果があるのですから、救いは「今」の私の上で明らかになるという点です。そして、信心も救いも私が掴(つか)むものではありません。私が理解し納得できるかもどうでも良いことなのです。  なもあみだぶつ♪

クイズ

親鸞さまが9才で出家・得度なさる際に詠まれたとされる和歌『○○ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは』○○に入るのはどれでしょう?!

1.金  2.明日  3.君

★先月の答えは「2.あずき」でした!

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞