願海寺新聞 第68号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第68号

発行:2019年6月

こんにちは!まだ5月だというのに夏のような暑さです。皆様、体調など崩されていませんか?どうぞご自愛下さいね!私・巧弦は、忙しく充実した5月でした。5月17日には、初の『がんかいじこどもしょくどう』を開きまして、当初は「誰も来てくれなかったらどうしよう」と不安でしたが、約30名が集い、とてもにぎやかな会となりました♪子どもたちが「ほっ」と安心できる空間と、自然と笑顔になれる時間を提供していけるよう、毎月1回で継続させていきます。
5月26日には、福井県鯖江市にある真宗山元派(真宗十派といいまして、お西・お東以外にもあるんです)の本山・證誠寺さまに、去年の台風で受けられた大きな被害への復興イヴェントで、私はトークとギター演奏でお呼び頂いたので伺ってきました。街づくりや若者支援など、様々な分野でのご活躍の方々とお話ができ、とても学ばせて頂けたので、今後しっかり僧侶としての日々の活動に活かしていく所存です。  合掌 南無阿弥陀仏 弦

かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障碍するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす。

Q『どのお経を読めば良いの?~浄土三部経について②~』

先月号での浄土真宗(じょうどしんしゅう)の根本経典『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)(大経(だいきょう))』に続きまして、今月は『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』のあと2つ、『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)(観経(かんぎょう))』と『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)(小経(しょうきょう))』についてです。
『観経』は、日常のお経本には掲載もなく、少し馴染みの薄いお経かもしれませんね。願海寺では、主にお葬儀のあとの初七日法要でお勤めさせて頂いています。
『小経』は、日常用のお経本にも掲載されていますし、お通夜(つや)や祥月命日(しょうつきめいにち)、年忌法要(ねんきほうよう)など、非常によくお勤めされるお経です。分量(文字数)も三部経の中で最も短い経典なのですね。この両経で説かれている教えは、『観経』は様々な修行によって往生(おうじょう)を目指していく道が、『小経』は念仏による往生を目指すのだけども、自らの力を頼りに心を乱さず念仏を重ねていく自力念仏の道が説かれています。
しかしながら、それらの道は『大経』で説かれた「他力念仏」の道、すなわち「阿弥陀如来(あみだにょらい)の、一切衆生(いっさいじゅじょう)(私たち)を必ず救(すく)い摂(と)るという誓願(せいがん)と修行によって完成された南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)(名号(みょうごう))の力によって往生していく」教えとは異なるわけです。
この一見別々の教えが示されている浄土三部経の関連性について宗祖(しゅうそ)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)は詳しく明らかにして下さっています。複雑なため、ここでは簡単に述べるに留まりますが、『観経』『小経』は表面的には自力の教えが示されているが、経の終盤に至っての教説では、他力念仏の法によってしか誰もが必ず往生できる道はないことが明かされており、つまり三部経全体に貫かれているお釈迦(しゃか)さまの真意は同じ「他力念仏ひとつ」であるということです。
そして、表面的には別の教えを説かれた理由についても、私たち煩悩(ぼんのう)まみれの衆生は世間常識的な「自分が努力した結果=良い世界に往生できる」という考え方しかできないので、まずはそれを前提とした自力の法門を説くことで、真実の救いである他力の法門へ導くとお示し下さいました。仏さまの智慧(ちえ)と慈悲(じひ)を疑う私たちの心は実に強靭(きょうじん)です。でも、だからこそ阿弥陀如来は「救わずにはおられない」とおはたらき下さり、お釈迦さまも巧(たく)みな手立てで私たちに説き示し下さったのであります。  なもあみだぶつ♪

QUIZ

「阿弥陀(あみだ)」とはもともと何語でしょう?!

1.サンスクリット語  2.シュメール語  3.古代ギリシャ語

★先月の答えは「2.明日」でした!

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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