願海寺新聞 第71号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第71号

発行:2019年9月

こんにちは!今年の夏も暑かったですね~。季節の変わり目でお疲れが出ませんよう、どうぞ御自愛下さい!
さて、8月24日に高岡伏木の勝興寺さまの夏の法要にお誘いを頂き、お参りさせて頂きました。あの大きな本堂のお内陣でのお勤めという、初めての大変貴重な体験でありました。
9月ですが、14日に越中聞法倶楽部『やさしい真宗のおはなし講座』で真宗山元派(福井県鯖江市)の新門(次のご門主)であられる藤原智之さんが願海寺にお話にいらして下さいます!皆様ご聴聞下さい。
また、16日と17日は『お寺を楽しむ会』、20日は『がんかいじ こどもしょくどう』と楽しい行事が続きます♪
たまにはお寺でのんびりとした時間を過ごすというのも贅沢でいいですよ~!どうぞ遊びにいらして下さいね!
合掌 南無阿弥陀仏 弦

浄土に吹く 清い風より生じる音は それぞれ調和し 心地よく響く
仏説無量寿経 上巻より私訳

『歎異抄ってなぁに?~第五条編①~』

親鸞(しんらん)は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返(いっぺん)にても念仏(ねんぶつ)申(もう)したること、いまだ候(そうら)はず。
そのゆゑは、一切の有情(うじょう)はみなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)・兄弟(きょうだい)なり。

「はっ」とさせられる鋭(するど)い御言葉がたくさんある『歎異抄(たんにしょう)』の中で、私・巧弦(こうげん)が最も感銘を受けたのが、この「第五条」の一説です。(『歎異抄』は第十八条まであります)。
ここでは、まず追善供養(ついぜんくよう)としての念仏を否定なされます(第49・50号参照)。
続けて、私たちは自分の父母(家族)を最も大切だと思っているけれども、「いのち」を広い視野で眺めてみると、この今の命に至るまでに数え切れないほどの生(うま)れ変(かわ)り死(し)に変(かわ)りを繰り返してきた中では、全ての命が私の父母だったり兄弟だったりしたのであって、みな私と深い関係のあるつながり合った存在なのだよと説かれます。なのに、どうして現生での父母だけが特別な存在といえるのでしょうというこの宗祖の観点は、私の狭く固執したものの見方に激しく揺さぶりをかけてくれます。
しかし、そう聞かされても、私の濁(にも)った目には、やはり今の家族だけが近しく愛しい存在だとしか映りません。地球の反対側に住んでおられる顔も名前も知らぬ人のことを家族同様に愛しくなんて思えるはずもありません。
だけど、私の目に映ること、思えることが全てではないのです。この不確かな自分を確かだと思い信じる心こそが苦しみであると仏教は捉(とら)えます。だから、仏さまの目(真実の智慧(ちえ))で見たときには、世界の全ての命がつながり合った存在で自分と無関係ではないのだと知らせて頂き、そのことを心に置いて生きる(南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)を聞いて生きる)のです。そこに、互いに思いやって、認め合って、慈(いつく)しみ合って歩んでいける穏(おだ)やかな道が育(はぐく)まれていくのです。他者を害したり、排除したりという傾向が強いこの現代社会において、「一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり」という視座は重要でありましょう。
なもあみだぶつ♪

QUIZ

浄土真宗の称名念仏(南無阿弥陀仏と称えること)で、以下のうち1つ、真宗の教えとは異なるものはどれでしょう?!

1.他力の念仏  2.報恩の念仏  3.呪文の念仏

★先月の答えは「3.正信念仏偈」でした!

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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