願海寺新聞 第9号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第9号

発行:2014年7月

こんにちは。幼児が食べ物を与えられず放置され、白骨化した遺体で見つかるという悲しい事件がありました。自分の都合で我が子を見殺しにするという残忍性と、唯一すがることができる親に見捨てられた幼児の苦しさ・無念さを思うと、胸が張り裂けそうに痛みます。
同時に、この事件を知って何より怖く感じたのは、その残忍性はこの私も持っているのあることです。私は幸い人をあやめたことはありませんが、これまでにたくさんの人を苦しませてきてしまいました。人間とはみな愚かなものです。その愚かさはいのちの尊さを見えなくさせ、自分だけが良ければ構わないという恐ろしい方向へ進ませてしまいます。これでは、この世こそが地獄そのものです。こんま世の中だからこそ、心を健やかに育む仏教の教えがひえまりますようにと願ってやみません。弦

願海寺あれこれ

願海寺の800年の歴史から最初の約250年ほどについてを、これまでの8号まででご紹介を致しましたが、今月はそれを簡潔にですが年表にしてお届け致します!
1159頃 願海房 信性 誕生(俗名:村上権兵衛 由清)
1173  親鸞聖人 誕生
1191  由清が京都から越後に流罪
1207  聖人が京都から越後に流罪
1208  由清、聖人と出会い弟子となる
    願海房(房号)と信性(名)を授かる
1211  聖人、流罪勅免で関東へ
    願海房には越中布教を託される
1239  願海房 信性 往生(81才)
1262  親鸞聖人 往生(90才)
    2代・清寿(聖人の孫)が聖人のお分骨を栃津の房舎に六角堂を建立しお納めする
1360頃 5代・信誓、寺を水橋小出に移設
1394  信誓、寺号を“新井山願海寺”と改める
1394頃 本願寺6代・巧如上人のご子息であり、願海寺6代・巧賢 誕生
1456  蓮如上人より巧賢へのお手紙(現存)

Q『お釈迦さまのお教えってどんなの?』

お釈迦さまは、今から約2500年前(諸説あり)にインドとネパールの国境のルンビニという地区にあったシャーキャ族という国の王子としてお生まれになったと伝えられています。お釈迦さまは一国の王子として、物質的には何一つ不自由のない生活を送られていましたが、物質的な裕福さがどれだけあっても、人間の根源的な苦悩である生老病死からは逃れられないと悩み、29歳で地位と富を捨て出家されました。
6年間の修行を経て、世の中の真理(ありのままのまことのすがた)「縁起」に気付かれ、苦悩の原因である煩悩・執着から離れる生き方「中道」を説かれました(5~8号参照)。仏教とは、生と死の苦しみを滅していくために、どのように生きるかという道なのです。お釈迦さまは、人々を救おうと、その相手に合わせて教えを説かれました。その数は8万4千とも言われており、後にそれらをまとめ、文字として記したものが「経典(お経)」です。
そのたくさん伝わる教えに一貫して共通しているのは「己の心を健やかに育むこと」です。自らを愚かだと知り、社会の価値観に奔走されず、真理にならって生きなさいと説かれています。仏教の教えで重要なのは、事実をありのままに見るということです。これを「如実知見」といいます。仏教には、魔法や超能力のような力などではなく、ただ、ごく当たり前のことが説かれているのですね。ですから、見えない力にすがり、現世利益を願うということは本来の仏教にはありません。神秘的なものや霊的なものに頼ることは、一時的ななぐさめにはなるかもしれませんが、それらはごまかしであり、根本の解決にはならず本当の安らぎは得られないからです。
最後に初期の経典『法句経(ダンマパダ)』に説かれた422のお言葉から2つをご紹介致します。
「怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。
わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。(223)」
「自分自身によって悪はなされる。自分自身によって人は苦しむ。
自分自身によって悪はなされないままにされる。自分自身によって人は浄化される。(165)」
なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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