願海寺新聞 第10号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第10号

発行:2014年8月

こんにちは。去る7月3~4日に、宮城県気仙沼市までボランティア活動に伺ってまいりました。今も残る津波による痕跡は、人間の無力さを突きつけるかのごとく、すさまじい光景でした。ボランティアとはいっても、私たちには何も出来ないのが実情です。ですから、そんな私たちがあえて行くのであれば、その分のお金を募金したほうがお役に立てるのではないかと思っていました。でも、実際に伺って、仮設住宅の方々に氷見うどんや、ます寿司をふるまったり、音楽の演奏をして共に歌ったり、楽しんで頂けるように頑張るという活動をする中で、大した力にはなれないけれども、お会いして心を通わせることは素晴らしいと感じることができました。この、現代社会で置き去りにされてしまった“心”こそが、これからの人類存続のために一番大切なことであろうと学べた宮城への旅でした。 弦

願海寺あれこれ

初代・願海房信性が越後(新潟)から越中(富山)へやってきて拠点としたと伝わる立山町・栃津には今も房舎(お堂)が現存し(この房舎は江戸時代の建造と思われます)、毎年7月には栃津の方々と共にお参りを執り行っており、今年は去る7月16日に勤修致しまして、私・巧弦も初めて参加してまいりました。
栃津の房舎は小高い山の中の中腹にあり(熊も出るそうです)、親鸞聖人のご分骨が納められた六角堂、初代願海房、歴代住職、坊守(住職の妻)の墓が並び、願海寺の歴史が感じられる場所です。長い年月を経てきたその荘厳な佇まいや、周囲に広がる雄大な緑の風景は、そこに立つと身震いがするほどで、自然と「南無阿弥陀仏」のお念仏が口から出てきて止まらないほどです。
皆様も一度お参りに行かれてみませんか?御案内も致しますから、お気軽にお申し付け下さいね!

Q『お経ってどんな内容なの?』

「お経(経典)」とは、お釈迦さまが言葉で説かれた教えをまとめ文字に残したもののことであり今日までとてもたくさんの経典が伝わっております。
また、仏教にはたくさんの宗派があり、その宗派によって思想・形態の幅が広いので、拠りどころとする経典もそれぞれ違ったりします。
浄土真宗では、阿弥陀さまによる救いが説かれた『無量寿経』『感無量寿経』『阿弥陀経』(まとめて「浄土ミ部経」と呼びます)こそが真実の教えであるとして拠りどころとし用いています。ですので、有名なお経である『般若心経』は浄土真宗ではおつとめしません。
これは、『般若心経』は「すべての執着を捨てて悟りを開く」自力の修行を勧める内容であり、浄土真宗の「阿弥陀さまの本願力による救いにおまかせする生き方」とは相違するからです。  ※「本願」「救い」などについてはまた改めてお話致しますね!
なお、浄土真宗のおつとめで最もよく拝読する『正信偈』は親鸞聖人の書かれた『教行信証』の中にあり、日々の勤行には本願寺8代・蓮如上人の頃より用いられるようになりました。
そして、この『正信偈』には本願寺派では3種の節(メロディー)があるのをご存知でしたか?!まず、最も一般的な「草譜」、祖師・歴代宗主のご命日におつとめする「行譜(ぎょうふ)」、親鸞聖人の祥月命日である1月16日にのみ本山でおつとめする「真譜(しんぷ)」の3つです。
また、『正信偈』など親鸞聖人のご書物のほか、阿弥陀さまの浄土の教えを伝えお広めくださった七高僧のご書物などは、お釈迦さまの残されたものではありませんから、正しくは経典ではなく「お聖教(おしょうぎょう)」と呼びます。
お経もお聖教も、決して呪文のようなものではなく、この人生をどのように生きていくのかという道が説かれています。すなわち、この「私」に向けられたものなのですね。
共に味あわせて頂き、この人生の指針としていきたいものですね!   なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞