願海寺新聞 第11号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞

願海寺新聞 第11号

発行:2014年9月

こんにちは。夏の終わりと、秋の気配が感じられるようになってきましたね?本堂の屋根瓦葺き替え工事もおかげさまで無事に始まりましたことを御報告に致します。
さて、近頃は月忌参りに伺うと「正信偈の読み方を教えて」と尋ねられることが増えました!もし希望して下さる方がある程度いらっしゃれば、今後、願海寺で『正信偈を唱える会』などを開催していけたらなぁと思っています!興味のある方は日時などの希望ををお聞かせ下さいね。
では、涼しくなり夏の疲れも出やすい時期です。どうぞ御自愛くださいね!弦

願海寺あれこれ

1360年頃から1573年までの約200年間は富山市水橋小出に願海寺がありました(第8号参照)。では、その頃の日本の社会はどのような状況だったのでしょうか?!15世紀に入ると、室町幕府による政治・統治は荒れ、1467年の応仁の乱をきっかけに戦国時代に突入していきました。
本願寺では1457年に蓮如上人が8代宗主となりましたが、1465年には比叡山衆徒により本願寺を破却され、蓮如上人は追われるように京都を出られます。6年後の1471年になりやっと越前(福井)吉崎に居を構え布教にあたられますが、規模を増していく本願寺教団に対して、今度は守護大名や豪族からの弾圧も起きます。それらの弾圧に対して門徒勢が立ち上がったのが一向一揆の始まりです。そして、越前(福井)や加賀(石川)を中心に一向一揆の勢力は拡大していき、戦国大名と同じような武力を持つまでになってしまいました。
さて、次号ではその頃の越中と願海寺はどんな状況だったのかを見ていきましょう!

Q『運命って変えられるの?』

私たちは、出会いや起きた現象に対して、すぐに「運命だ」などと言ってしまいます。「運命」とは、神のような絶対的な存在(私たちを創造し司るもの)によって決められ、変えることは出来ないものです。
要するに、あらかじめ決められたゴールに向かって歩んでいるということになりますから、どんな不幸が起きようとも、それは神によって定められたことであり、仕方が無いわけです。これに対して、仏教では神(創造主)という存在はいません。そのため当然「運命」という概念もなく、世の成り立ちについて以下のように捉えます。
「今この瞬間があるのは、これまでの様々なご縁によるものであり、今をどう動くかで次の瞬間(未来)が決まる」のです。
仏さまは私たちの人生を操るといった力はお持ちではありません。私たちに向けて「今を一生懸命に生きなさい」と呼びかけ続けて下さっているのです。「過去はもう去った。未来はやってくるかも分からない。だからそんなことに気を病むな。今を大切にしなさい」ということです。植物の種(因)があっても、それを育む土・水・光(緑)がなければ芽がでませんよね。これを「因縁(いんねん)」といいますが、私たちの人生も同じなんですね。なんとも自分の都合の良いように使えてしまう運命という言葉に逃げるのではなく、「今」は過去の結果であり、明日は「今」の結果であると真っすぐに受け止め、そこから学び、前を向いて歩める心を育んでいきたいものです。
「過去が咲いている今、未来の蕾(つぼみ)でいっぱいな今」(河合寛次郎氏)という詩がありますが、まさに「今」を生かせて頂いているのは尊いことなのです。
今日を生かせて頂いているお恵みに感謝し、手を合わせお念仏させて頂きましょう!   なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞