願海寺新聞 第13号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第13号

発行:2014年11月

こんにちは。ずいぶんと秋も深まってまいりましたね。『願海寺新聞』もおかげさまで2年目に突入ということで、さらに楽しい紙面を目指していこうと意気込んでおります!バックナンバーもご希望でしたらお気軽にお申し付け下さいね♪
さて、7月末より着工しておりました本堂屋根瓦葺き替え工事もこの度無事に終了しましたことを御報告致します。この本堂を皆様の健やかな心のためにさらに活用できるよう新しい取り組み始めていければと思っています。ご意見などございましたら、そうぞ何でもぶつけて下さい!弦

願海寺あれこれ

水橋小出を追われた願海寺が次に拠点を構えたのは、射水群倉垣庄開発村(かいほつむら)という場所でした。伝承では、願海寺13代・巧空(ぎょうくう)がその開発村に移ったとされています(詳しくは来月号にて)。そして、城のような堀と城壁でめぐらせた敷地の中で願海寺を建立したとあります。
願海寺がこの地を本拠地としたことによって、開発村はいつのまにか願海寺村と呼ばれるようになったといいうほど、当時の願海寺の勢力は非常に大きいものであったようです。その名残りは呉羽の西の「富山市願海寺」という地名として現代まで続いているのです!隆盛ぶりが伺える当時の願海寺ですが、世はまだ戦国の戦乱が続いておりました。1578年に上杉謙信は亡くなりますが、今度は織田信長の脅威が訪れるのでした。石山本願寺(本願寺はこの頃は大阪にありました)は1570年から1580年まで10年もの間、織田信長に攻められ続けている状況でした。
願海寺も同じ願海寺村にあった寺崎民部盛永という武将に1579年頃に焼き払われてしまいます。現在、石碑が残る願海寺城とは、願海寺の跡地に寺崎民部が建てたものと考えられています。

Q『明るく人生を生きるには何が必要?』

「ちえ」という言葉があります。
世間で一般的に用いるのは「知恵」ですが、仏教では「智慧」と表します。では、この2つの「ちえ」はどう違うのでしょうか?
「知恵」とは、学校で習ったりするような今の常識に対する学習した力のことですね。たとえば、私たちは長さを測るときに1メートルという単位を使っていますが、このメートル法も人間が決めたことですから、当然移りゆくものです。1尺、1ヤードなどというように、長さを表す基準は時代や社会によって様々に変わります。人間が決めた(造った)ことである以上、決して不変ではないのです。もちろん「知恵」がなければ社会の中で生きていくことは難しいですから知恵は必要です。ただ、知恵こそが絶対であると思ってしまうと「自分」「自我」という存在が強く固くなり、世の中と自分の間にきしみが生じてしまいます。現に私たちが抱えている現代社会のまた現代文明から生じている問題(苦しみ)は知恵によって起きてしまったものです。
それに対して「智慧」とは、「自分中心という枠組みを外して」「物事を正しく見る」ことです。私たちが「あの人は悪い」などと決めるのは知恵や道徳を通した自分の基準での判断ですが、「智慧」を以って見れば「あの人は悪い」と決めつけてしまう自分の心こそが問題なのです。「智慧」とは究極の平等心ですから、確かに簡単に身につけられるものではありません。ですが、簡単ではないからこそ、歩み続けていくのが仏教の道(仏道)であります。それは、智慧を悟った仏様のみ教えを聴かせて頂くということです。お釈迦さまは「たとい教えを聞くことが少なくても、身をもって真理を見る人、怠って道からはずれることの無い人、―かれこそ道を実践している人である」とおっしゃっています。知恵はなくとも智慧を持ち、物事を正しく見て、この人生を明るく生かせて頂きましょう!
なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞