願海寺新聞 第15号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞

願海寺新聞 第15号

発行:2015年1月

こんにちは!新しい2015年という一年が始まりましたね!きっと皆様がこの新しい一年に向けて思いを新たにされているのではと思います。一年の始まりというのはまっさらな気持ちになれ、とてもすがすがしいものですね!
私も「今年こそは」と思っていることがいくつかあります。この思いを保ち続けるためには、毎日毎日を新鮮な気持ちで迎え、臨むことが大切だと思います。
そのためにも毎朝必ず仏様の前で手を合わせることは、新しい一日を迎えさせて頂けた尊さに感謝する時間となるので欠かさずに行いたいものです。
一日一日の積み重ねが一ヶ月となり、一年となり、そして一生となるのですから、一年の初めだけでなく、一日一日を新たな気持ちで生かせて頂くことが、人生を豊かに生きるためには必要なのでしょうね!
本年も宜しくお願い致します。 弦2015

願海寺あれこれ

11月号と12月号では、富山市願海寺という地名は願海寺がそこにあったことからついたというお話をさせて頂きました。
その願海寺村での願海寺が1579年頃に焼き討ちにあった後、今度は砺波郡縄村に移ったと伝わっておりますが、なぜ、砺波だったのか?それに関しては全くの不明です。そして、縄村という地名も現在は残っておらず詳しい場所なども不明です。
砺波にいた頃の伝承としましては、1596年に「九月九日 加賀の城主より境内に殺生禁断の制札を立て、砺波郡縄村にて千俵の扶持を下付せらる」というものが残っております。その頃の日本の情勢はようやく約100年続いた長い戦国時代の終わりを迎えます。1582年に本能寺の変で織田信長が亡くなり、続く羽柴秀吉が1583年に大阪城を築城、1585年に関白就任、1586年に太政大臣になり豊臣姓を名乗り、没する1598年まで天下統一していました。このように戦乱の世が終わったことにより各地の都市は大きく発展していったそうです。

Q『お布施って寄付じゃないの?』

「お布施」というと、お坊さんがお経を読んでくれたお礼としての謝礼金だと思っておられる方が多いと思いますが、「布施」とは「ひろくほどこす」という意味であり、大乗仏教における菩薩の行として始まったものなのです。
私たちはお金や物品に執着してしまいます。大事にする気持ちは大切ですが、手放すことが怖くなり、心が乱れ落ち着かなくなることもしばしば起こります。布施とは、このようなとらわれの心から離れるためのトレーニングなのです。自分の大切なモノを施し、もらって頂くことによって心が執着から離れ、楽になれるのです。「惜しいな」と思うものを手放すことが大事ですから、たとえば金銭ならば、その金額の大小は問題ではないのです。
そして、「してあげた」ではなく「させて頂いた」という発想の転換と、分かち合える喜びを感じられるようになれば立派な布施の実践でしょう!
また、布施というとおのずから「金品や物品」だと思ってしまいますよね?なので、そもそも金品を持たない者には布施はできないじゃないかとなりそうですが、布施には「無財の七施」というものがあります。
優しい眼差しで明るい心で「おはよう」と挨拶するだけでも立派な布施なのですね!
電車やバスで座席をお譲りして喜ぶことも立派な布施です。
「うばい合えばにくしみ わけ合えばよろこび
 うばい合えば不満   わけ合えば感謝」
詩人 相田みつを氏のこの詩はまさに布施の精神を表現したのであります。
布施の心を大切にして明るい自分を、そして社会を育んでいきたいものです!
なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞