願海寺新聞 第17号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第17号

発行:2015年3月

こんにちは!日を追うごとに厳しい冬の寒さの中に穏やかな春の気配が感じられるようになってまいりました。
思えば、私たちは一年365日を春・夏・秋・冬と四季に分けて考えておりますが、当然ながらこの季節というのはある日突然に変わるわけではないのですね。一日一日、少しずつ変わりいっている。ただ、私たちがそのことに気付こうとしていないだけなのでしょうね。一日一日、少しずつ変化をしているということは、それはすなわちこの一生で同じ日は二度とないということです。
雪の日も、体調の悪い日でも「この日は今日しかない」と思えれば、そこから何かが見えてくるかもしれません。さらに言いますと、「今日が人生最後の日かもしれないぞ!」と覚悟をもって今日一日を生かせて頂きたいものです。と、書くことによって自分を奮い立たせている私なのでした(笑)。 弦

願海寺あれこれ

また、江戸時代初頭には浄土真宗にとって大きな出来事がありました。そうです、お西(浄土真宗本願寺派)とお東(真宗大谷派)との分派です。
戦国時代末期、織田信長と争っていた本願寺(石山本願寺)では(※第13号参照)、和睦を主張する11代・顕如宗主派と、徹底抗戦を主張するその息男である教如上人派という親子での意見の対立がありました。
信長の後の秀吉の時代になった1592年、顕如宗主が急逝され教如上人が12代を継職されますが、すぐに秀吉の怒りに触れたため追放となり、異母弟の准如上人が12代となります。1600年、関が原の戦いに勝利し天下人となった徳川家康は、1602年にその追放された教如上人へ土地を寄進し、そこに東本願寺が建立され、本願寺は2つへと分かれていきます。そして、この分派によって全国の浄土真宗寺院には大きな混乱が起きました。
ここ越中でも西派から東派、東派から西派、または一つの寺院が東西に相分かれるなど、分派による混乱は、なんとおよそ100年ほども続く長いものとなりました。
願海寺は分派から現在までずっと本願寺派に所属しています。

Q『怒りが起きたときはどうすればいい?』

私・巧弦(ぎょうげん)はすぐに怒ってしまいます。
たとえば、私が笑顔で話しかけたのに、相手に冷たい対応をされたりするとイラっとしてしまいます。これは、「相手が自分の思う通りにならない」から心がざわついているんですね。「自分が笑顔なのだから、相手も笑顔で返すべきだ」と、自分の考え・価値観を相手に押し付けようとし、その通りにならないと「怒り」となるわけです。
でも、このような「自分が正しい。あなたは間違っている」という「自分のモノサシ」を基準に生きていると、世の中のすべてに怒らなければなりませんし、怒り続けていては自分自身が壊れるでしょう。そこで、相手が自分の望む反応をしてくれなくても「ああ、そんな考えもあるのだな」と受け取れるようにしてみると冷静な自分が取り戻せます。
そして「自分のモノサシを捨てよ、と仏さまがおっしゃってくれているんだ」と転換してみますと、「怒り」は「感謝」に変わっていくのです。
こういった発想の転換こそ、仏さまから頂けた“智慧”なのであります。
怒りは外からやってくるのではないのです。必ず自分の心が作り出しているのです。
親鸞聖人は『歎異抄(たんにしょう)』こうおっしゃっています。(本願寺出版社『歎異抄-現代語版-』より)
「何が善であり何が悪であるのか、そのどちらもわたしはまったく知らない。
なぜなら、如来がそのおこころで善とお思いになるほどに善を知り尽くしたのであれば善を知ったといえるであろうし、また如来が悪とお思いになるほどに悪を知り尽くしたのであれば悪を知ったといえるからである。
しかしながら、わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変る世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである」と。
この御言葉にこそ穏やかな心への、そして平和な世界へのヒントがあるのではないでしょうか!
なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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