願海寺新聞 第18号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第18号

発行:2015年4月

明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
こんにちは!いよいよ北陸新幹線が開通しましたね!人の往来が増えますが、富山の素晴らしい自然と、人々の優しい心が損なわれないでほしいと切に念じております。
さて、お知らせですが、6月7日(土)午前10時より願海寺にて年に一度の『永代経法要』をお勤め致します。
皆様どうぞ仏教のみ教えに触れにいらして下さいね♪ 弦

願海寺あれこれ

江戸時代には文化も発展し、多くの美術品・工芸品や建造物が造られます。
江戸期に造られた願海寺にゆかりのある建造物で現存するものの1つに梵鐘(ぼんしょう)があります。また、この梵鐘は願海寺ゆかりの現存する建造物としては最古のものだと考えられます。梵鐘とは除夜の鐘で突く、あの大きな鐘です。
「あれ?願海寺にそんな大きな鐘なんてあったかな?」とお思いですよね?!
そうなのです。今の願海寺には無く、高岡市伏木の勝興寺さまにて保管されているようです。願海寺の梵鐘になぜそのようなご縁が訪れたのかについては、もう少し時代が下った明治時代の頃のお話で綴らせて頂きますね。
さて、この梵鐘は、1640年に、願海寺16代・巧性(ぎょうしょう)が願主(依頼人)として建造されたようです。5年の歳月をかけ造られたこの梵鐘の音は富山城下に鳴り響き「富山一の名鐘」といわれたそうです。私はまだこの梵鐘を実際に看た事がなく、一度見たいと思い勝興寺さまに伺ってみたのですが、冬は雪のため保管先(山?)まで行けないとのことでしたので、また春に伺おうと思っております。この梵鐘にまつわるお話は次号も続きます。

Q『お金があれば幸せになれるの?』

「国民の幸福のための経済成長」などという政治家の声がよく聞こえてきますが、この日本という国が、発展のためには命を犠牲にしてもやむないという方向へと突き進んでいってしまっているような不安を覚える昨今の世情であります。
さた、では経済が成長すれば私たちは“真の幸せ”を得られるのでしょうか?
私たちは煩悩(ぼんのう)から逃れられぬ身(凡夫(ぼんぶ))です。お金もたくさん欲しいです。
キレイな服を着てカッコイイ車に乗りたいです。温泉に入って、美味しいごはんを食べたいです。
でも、どんなに富を築けそれらの願望が現実のものになったとしても、私たちの欲は決して満たされることなく増え続けていきます。また、財産を持てば持ったことで今度はそれが無くならないか、奪われないかといった不安や苦しみも生れてくるのです。
ですから、“真の幸せ”は物質的な裕福さ(経済の発展)からは得られないのです。さらには、どんなに財産があろうとも揺るぎない事実は私たちは必ず死ぬということです。そして、この世で富や名誉はお浄土には持っていけないですし、もし仮に持っていけたとしてもお浄土では何の価値も持たないでしょう。お浄土では自他の区別もなく、みな平等だからです。では、“真の幸せ”とはなんでしょうか?!
私たちは、数え切れないほどのご縁によりこの命を頂き、今を生かされています。
そして、喜ばしいことに仏教のみ教えに出遭わせて頂きました。
阿弥陀様は「与えられた肉体・能力や境遇のまま、一生懸命に生きなさい」と願われています。『阿弥陀経』に「池中蓮華(ちちゅうれんげ)大如車輪(だいにょしゃりん)青色青光(しょうしきしょうこう)黄色黄光(おうしきおうこう)赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)白色白光(びゃくしきびゃっこう)」とあります。青い花は青く光ります。青い花が赤く光ることはありません。
そのように私たちも自分の色のままでただ精一杯に輝ければよいのですね!   なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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