願海寺新聞 第19号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第19号

発行:2015年5月

こんにちは!去る4月8日~17日までの10日間、京都・本願寺西山別院における教師教修に参加してまいりまして、浄土真宗本願寺派の教師という資格を頂くことができました。
この「教師」という資格は、寺の住職となるためには必要となるものです。
教師教修では10日間の合宿生活でおつとめ(お経)などを厳しくみっちり習うのですが、これまで自分では出来ているつもりでいたことも実は全然出来ていなかったのだと痛感致しました。ですが、何事も「初心忘れるべからず」であると改めて学ばせて頂けましたので、堕落してしまわないように常に我が身をかえりみて、僧侶としての精進を続けていかねばと決意を新たにした次第でございます。
さて、6月7日(日)には『永代経法要』を午前10時からと午後1時からお勤め致します。初めての方もどうぞお気軽に、お寺へと足を運んでみて下さい!お待ちしておりますね! 弦

願海寺あれこれ

さて、今月も先月に続きまして、1640年に造られ「富山一の名鐘」とまでよばれた願海寺の梵鐘についてです。
この梵鐘には「富山 太田保内 新井山願海寺」と所在地が刻まれているそうです。太田保内という地名は現在の富山市中心部を表すと考えられるようですが、願海寺が富山市五番町へ移ってきましたのは1662年とされており、1640年にはおそらく水橋小出に願海寺があったのではないかと推測されますので、疑問が生じます。
15~16号で書きましたように、1579年頃に開発村(現・富山市願海寺)が焼き討ちにあってから1662年に五番町に移るまでの間は砺波郡縄村~小出と移ったとされていますが、資料はなく詳細は不明です。ですので、もしかすると1640年頃から富山城下町に移ってきていた可能性も考えられます。
このあたりは今後、新たな資料の発見に期待すると共に、さらなる研究を要します。

Q『お葬式で頂いたお花は玄関までしか入れちゃダメなの?』

最近、とてもよくこのご質問を頂きます。
まず結論から申しますと、それは根拠のない迷信であり信じなくて大丈夫です!
仏教の目的は悟りを開くこと、すなわち「仏となる」ことです。
それは「生」と「死」を超えていくことです。これを「生死一如(しょうじいちにょ)」といいます。
私たちには現世でこの命しか見ることができませんが、命とはもっと大きな流れの中にあるものであり、この命が終わったから終わりというわけではないのですね。
ですから、仏教では現世での死を忌み嫌うことがありません。
また、お葬式などの仏事は「命は必ず尽きる」という“諸行無常(しょぎょうむじょう)”のことわりを私に教えてくださる仏さまからのお声を聴かせて頂く場であるのです。“諸行無常”であるということは、永遠に不変であったり不滅の魂や霊のような存在も無いことがハッキリします。これが“諸法無我(しょほうむが)”です(第6号参照)。ですので、お葬式で頂いたお花に悪い何かがついていることもありえないわけです。どうぞ安心してお葬式で頂いたお花はお好きな場所にお飾りくださいね♪
そして、そのお花を見て「人生は短い。だから精一杯に生かせて頂かねば」と感じられたならば、それは仏さまからのお声が私に届けられているのですね。
なお、他にも「塩をまく」「一膳飯や茶碗を割る」といったことも不必要です。なぜなら、この命が尽きれば、阿弥陀様に救い摂られ、お浄土に往き生まれるからです。浄土真宗のみ教えでは、占い・加持祈祷・日の善し悪しなどの迷信に左右されてはならぬとバッサリ切り捨てております。徹底的にストイック(自分の心に厳しい)なのですね。
確かに、加持祈祷などに頼りたくなるのが人間という生き物でありましょうけども、結局何も変わらず、より自分自身が苦しむのですから、そんな愚かなことは早くにやめるべきです。本当に頼るべきは阿弥陀様の願いだけです。それが「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。
なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞