願海寺新聞 第20号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第20号

発行:2015年6月

大地を潤す恵みの雨に感謝

こんにちは!いよいよ20号に突入致しました!2013年の11月に創刊し、毎月きちんと発行し続けられているのは皆様のおかげです!目指せ100号(あと6年8ヶ月!)で頑張っていきます! 弦

願海寺あれこれ

伝承などが無いことからあくまでも憶測の域を超えませんが、現存する江戸期の建造物としましては栃津の願海寺に残る建造物郡もそのほとんどが江戸期のものであると考えられます。
栃津には現在「本堂」「親鸞聖人御分骨六角堂」「初代願海房の墓」「願海寺歴代住職の墓」「願海寺歴代坊守(住職の妻)の墓」「燈籠(一対)/A」「燈籠(一対?)/B」などが残っています。これらの中で、Aの燈籠一対(2基)は、片方には文化2年(1805年)という江戸後期の年号とともに「願主 文三郎・彦五良(郎)」「石工 馬瀬口村 甚右衛門」と、もう片方には「富山 町同行中 寄進」と刻まれており、唯一詳細がハッキリと分かるものです。
「願主 文三郎・彦五良(郎)」のお2人は、おそらく栃津のご門徒様ではないかと考えられます。
「石工 馬瀬口村 甚右衛門」は、当時最も力量が高かったとされる常願寺川石工 中川甚右衛門が製作したことを示しており、そのような燈籠は富山に現存するものには他に類例がほとんどないことから、この栃津という場所が当時のご門徒様にいかに大切にされていたかが伝わってきます。
先人たちの思いを受け継ぎ、今後大切に守っていかねばと強く思う次第でございます。

Q『いただきますってどうして言わなきゃいけないの?』

以前、とある小学校で「給食費を払っているのだから子供にいただきますと言わせるな」という苦情をぶつけた保護者がいたそうです。
また、私自身が外食の際に「いただきます」と言わずに食べ始める人を多く目にします。改めて私たち人間は「多くの命のお恵みより生かされている」ことを確認すべきです。そしてその「命」は決してお金には換算できないものです。
確かにスーパーに行けばお魚やお肉には値段がつけられ売られているわけですが、それは社会の営みの中で仕方ないことであって、決して「命そのもの」に値段がつけられているわけではないことに気をつけないといけません。
お魚やお肉を食べるということは当然生き物の命を頂いていますし、野菜にしましても植物としての命があり、また丈夫に育つために犠牲となった虫たちの命もあったわけです。そう考えますと、一度の食事でも実に多くの命が私のもとへと来てくれているのです。このように私たちは他の命を頂かずには生きていけないものです。
ですから、「いただきます」「ごちそうさまでした」は多くの命によって私が生かせて頂けていることに対する感謝の思いとして、きちんと合掌をしてとなえることが必要なのです。
命は平等です。動物の命や植物の命を軽視することは人間の命をも軽視することになります。昨今の多発する残虐な人殺しの根本の原因は、この「他の命への軽視」にあると思います。私たちは食事をせねば生きていけないからこそ、その食事のたびに命の尊さについて思い、学ばせて頂くことが、人間が人間らしく生きるために大事なのではないでしょうか。
最後に、浄土真宗の「食前のことば」をご紹介致します。
『多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。』
今を生かされている命に感謝してお念仏させて頂きましょう!
なもあみだぶつ♪

僧侶似顔絵
村上 巧弦
願海寺新聞