願海寺新聞 第38号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第38号

発行:2016年12月

他人の過失を見るなかれ 
他人のしたことと しなかったことを見るな 
ただ自分のしたことと しなかったことだけを見よ

こんにちは!はやいもので2016年も残りわずかとなりました。この1年は皆様にとってどんな1年でしたでしょうか?私は本当にあっという間でした。もうこのまま本当にあっという間に人生を終える日が来るのだなと思うほどです。人は日に日に老いゆきます。でもそれは、今日という日はこれからの人生で一番若い私がいるということであります。人生において挑戦することを忘れずにいたいものです!では、皆様、今年も一年どうもありがとうございました♪ 弦

願海寺あれこれ

8~11月号では願海寺のご本尊・阿弥陀如来像や寺宝について御紹介してきましたが、今月からまた歴史に戻っていきます。久し振りですので、また少し昔にさかのぼって復習していきましょう(笑)。
江戸時代から富山市五番町にあった願海寺は、明治時代初頭に起きた廃仏毀釈によってその境内地を没収になり、明治7年(1874年)に現在の清水町3丁目の地へ移ってきました。
現在の西町交差点から立山町方面へと続く平和通りは当時はまだなく、平和通りの向こう側まで願海寺の境内地でした。本堂も現・本堂は平和通りのある北向きに建っていますが、旧・本堂はいたち川の流れる西を向いて建っていました。しかし、この旧・本堂は昭和20年(1945年)8月1日深夜に富山を火の海にした大空襲によって焼失します。
ご本尊や寺宝はすでに疎開しており難を逃れましたが、過去帳(ご門徒さまの法名・俗名・命日などを記録した帳簿)は寺に保管していたため、空襲の際に当時の住職であった第30代・巧宣(前々住職)は過去帳だけを持って逃げ、いたち川に飛び込んだそうです。命がけでご門徒さまの歴史の刻まれた過去帳を守ろうとされたのでしょう。そのおかげで、江戸時代に始まった過去帳3冊は、痛んでしまってはいるものの現在も金庫で大切に保管し続けることが出来ています。

Q『諸行無常ってなあに?』

「諸行無常(しょぎょうむじょう)」は仏教の根本的な立ち位置です(第31号参照)。
「世の中のすべての現象や物は常に変化し続けていて1つの状態にとどまることがない」という意味ですが、なんだか分かるような分からないような…「??」ってなってしまいませんか?
この諸行無常を私・巧弦に置き換えて考えてみましょう。私は現在36歳です。ということは、20年前は16歳(高校2年生の年)だったわけですね。では、今の私と、その20年前の私は同じでしょうか?誰も私を見て「高校生かな?」とは思わないでしょう。じゃあ、16歳の私はいつ今の私になりましたか?ある日のある瞬間を境に、パチっとスイッチを切り替えたように瞬間的に変わったのでしょうか?そんなはずはありませんね、あたりまえです(笑)。でもじゃあ考えてみて下さい。昨日、鏡に映っていたアナタと今日の鏡に映るアナタとで「あ、全然違う」と感じられた方はおられますか?きっとほとんどの方が「昨日と同じ自分だ」と感じられているのではないでしょうか。
昨日の自分と今日の自分の変化には気付かない。でも20年前とは明らかに違う自分がいる。そして、その変化はある瞬間でパチっと切り替わったわけではない。ということは私たちがその変化に気がつけないだけで、私の存在はこの一秒一秒も変化し続けているんですね。これが「諸行無常」です。もう1つたとえさせて頂きますと、願海寺は富山市内を流れるいたち川沿いにあります。この川を見て私は「川やな」と思うわけです。あたりまえですよね、川を見てるのですから。でもこのいたち川を構成する水はひと時も休むことなく流れ続けていて、同じ水は二度とそこを流れません。私の目にはいつも同じ「いたち川」としか映りませんが、「いたち川」は一瞬も同じ状態でとどまっていないんですね。この諸行無常の真理によって顕かになるのが、「生」があれば「滅」があるということです。
仏教はこの真理を決して誤魔化しません。この土台をしっかり固めておかないと心もフラフラと安定することがありません。諸行無常と真っすぐ向き合うことにより「では如何に生き抜くのか」というみ教えが私に響き渡るわけです。
なもあみだぶつ♪

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第9回楽しい仏教入門

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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