願海寺新聞 第54号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第54号

発行:2018年4月

こんにちは!去る3月15日に長男が幼稚園を卒園致しました。そして、その夜にはご門徒様のお通夜がありました。卒園式や卒業式、成人式、結婚式、そして葬送儀礼(お通夜・お葬式など)のことを「通過儀礼」と呼びますが、これらは私たちは特に意識していないものもありますが「宗教儀礼」です。宗教儀礼であるということは、やはりそれを通して「私がこの人生を生きていくとは?!」という「問い」を持って臨むべきであろうと思います。近年は特に葬送儀礼に関して様々な変化が起きています。たとえば「お葬式不要」といったものなどです。社会や家庭の有り方が変わる中で儀礼も変化していくのは当然ですが、お寺や僧侶、仏教界に対する不信感もその原因の一端となっています。まずは我々宗教者自身が儀礼に臨むにあたって自らを問えているのかと姿勢を省みていかねばなりません。南無阿弥陀仏 合掌 弦

青い花は青い光を 黄色い花は黄色い光を 赤い花は赤い光を 白い花は白い光を それはどれもが素晴らしい

Q『煩悩ってなぁに?③

煩悩(ぼんのう)の「三毒(さんどく)(貪欲(どんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち))」から今月は最後の「愚痴」について考えさせて頂きます。
まず、「愚痴」とは「愚(おろ)かさ」であり、「物事をきちんと見ていない」ということです。私たちは「あの人がこう言うから腹が立つ」などと怒りは別のどここから来ていると思っていますが、お釈迦(しゃか)さまの御言葉に「ものごとは心に基づき、心を主とし、心によってつくり出される。」(『ダンマパダ(1)』とあるように、全ては私の心が生み出しています。ですからこの心としっかり向き合い、しっかり制御し育んでいくことが、仏教の根本的かつ総合的な目的です。
次に、世の中の全てはお互いに関係し支え合った「おかげ様」で成立していますから、自分一人だけの都合で思い通りにしていくことはできません。もし、この縁起(えんぎ)の法則(第39号参照)に反して「我が力」を過信し誇るならば、それは全く傲慢(ごうまん)な思い違いであります。
このように「縁起」の法則を見ず、「私」という自己・自我が堅固になればなるほど(愚痴)、欲望に振り回される貪(むさぼ)りが起き(貪欲)、それが思い通りにならないと怒り狂っている(瞋恚)と、三毒はつながっており、その煩悩に支配され、無限ループの苦しみの中にいるのが私たちです。
ですから、三毒の煩悩の根幹となる「愚痴」すなわち物事をきちんと見ない無明(むみょう)の私という有り様を知っていくことが、「貪欲」「瞋恚」を断っていくために重要となるのです。
しかしまた、私たち凡夫(ぼんぷ)には煩悩を自力で断つことは不可能でもあります。ですが、煩悩のままに振り回されないように、気付き、避けようとしていくことは可能です。そして、その「気付き」は「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」のお念仏によって私にもたらされます。それは、私たちが煩悩を煩悩と思わず、いつも自分の都合で自分を正当化し、貪りによって地球や他の生命や自分の生命までも傷つけ続け、怒りに狂い争いを起こし苦しんでいる有り様を阿弥陀如来(あみだにょらい)はご覧になり、悲しみの涙を流すと共に、その真実の智慧(ちえ)をもって必ず救い摂(と)ると今まさにはたらきかけて下さっている、その御心があるからこそです。全てを照らし抜く智慧の光によって、我が心の奥底の濁(にご)りへの「気付き」を頂き続けていける、それがお念仏と共に歩む人生です。
なもあみだぶつ♪

行事案内

お経を称える会 5/18(金)18:30~20:00
         19(土)13:30~15:00

永代・祠堂経 6/3(日)10:00~・13:00~

楽しい仏教入門 6/22(金)18:30~20:00 
        6/23(土)13:30~15:00

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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