願海寺新聞 第56号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第56号

発行:2018年6月

こんにちは!今年の春は暑くなったり寒くなったりで体調管理も大変ですが、皆様いかがお過ごしですか?さて、今から800ねんもの昔、1211年頃に願海寺が発祥した地である立山町・栃津には、その境内地が現在まで大切に守り続けられています。毎年7月には、その本堂にて報恩講のおつとめを執り行っているのですが、今年は7/11(水)に開催致します。何百年も受け継がれてきたその地でのおつとめは、まるでタイムスリップしたような不思議な心境にもなります。(電気は豆電球1つのみ、水道・ガスはありません)。
実は私としては、一年の中で最も楽しみな行事でもあります。ここには、全国的に見ても他にあまりない親鸞聖人のお墓(親鸞聖人御分骨六角堂)もあり、願海寺だけでなく越中・富山の浄土真宗の歴史の中でも聖地と呼べるであろう大切な場所です。是非、皆様にも共にお参りして頂きたいと強く思っております。願海寺の門信徒でない皆様も大歓迎です。詳しくはどうぞお電話下さいませ~♪
なまんだぶつ なまんだぶつ 合掌 弦

Everything is Changing
僕たちは変わり続けている  ~諸行無常~

Q『お経って呪文じゃないの?』

「お経(きょう)」という言葉自体はどなたもご存知であろうかと思いますが、では、その内容はとなるといかがでしょうか?私たちが日頃接しているお経は漢文ですから、当然それは漢字の羅列(られつ)で、意味も分からず、なんだかまるで呪文(じゅもん)のように感じることもありそうです。
たとえば、『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』ですと、冒頭の「摩訶目?連(まかもっけんれん)摩訶迦葉(まかかしょう)摩訶迦旃延(まかかせんねん)摩訶倶?羅(まかくちら)~」と「摩訶(まか)」という文字が繰り返される箇所などは特に呪文のような印象ですよね。「摩訶」とは「大きい」とか「すぐれた」という意味で。「摩訶不思議」などと使われますが、この『阿弥陀経』での連続する「摩訶」は、お釈迦(しゃか)様のお弟子様方のお名前をたたえる意味で用いられています。どういうことかと申しますと、お経とは「お釈迦様のご説法」が収められたもので、めず、「如是我聞(にょぜがもん)(我聞如是(がもんにょぜ))」訳すると「お釈迦様から私はこのように聞きました」と始まり、続いて、教えがどこで説かれたのか、そこには誰がおられたのか、などが示され、お釈迦様のご説法が始まるのです。「如是我聞」と始まるのは、お釈迦様のおられた約2500年前の初期仏教教団では、教えは文字で書き残さず、口伝で受け継がれたからです。それらが後世に文字に起こされていきましたが、仏教の発祥はインドですから、初期経典は私たちに馴染みのある漢字ではなく、インドのサンスクリット語やパーリ語などで綴られています。そのサンスクリット経典にある「マハー」という言葉が、経典が中国語に翻訳されたときに音訳されたのが「摩訶」なのです。
しかし、よくよく考えてみますと、2500年も前のお釈迦様のご説法(教え)が、国を超え、言葉を超え、時間を超え、いま私たちに届いているとは、なんとも凄いことです。それはつまり「この私に届くように」と大切に受け継がれてきたものであるわけです。私たちは普段、何とも思わずお経に接していますが、この私へと至るための広大なご縁に想いを馳せてみると、そのご恩の深さ貴さにも、また気づかされていくことでしょう!     なもあみだぶつ♪

行事案内

お経を称える会 7/4(水)18:30~20:00 7/5(木)13:30~15:00

栃津おつとめ  7/11(水)15:00頃~

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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