願海寺新聞 第58号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第58号

発行:2018年8月

こんにちは!この1ヶ月も世の中では実に様々な出来事がありましたね。書きたいことはたくさんありますが、今月は私・功弦の近況報告をさせて頂きます!まず、7/3は、親鸞聖人の末裔(まつえい)である奈良・名称寺様(日野家)での吉光禅尼様(親鸞聖人のお母様)800回忌法要に、願海寺から住職・坊守と3人で伺ってきました。お念仏の響き渡るとても素晴らしいご法要でした。翌週の7/9~10は、本願寺派の「布教使」という資格の試験(3段階あるまず1段階)を受けに京都・伝道院(西本願寺の近く)へ行ってきました。とても難しく、何年もかかりそうですが、頑張ってきます!
7/11は願海寺創建の地であり親鸞聖人のお墓もあります、立山町栃津にて年に一度のお参りでした。暑い中でしたが皆様のおかげ様で良いお参りとなりました。早くも来年が楽しみです(笑)。
この他にも7月は貴重な経験をたくさんさせて頂けました。それらの中で自分の未熟さ、甘さを痛感するばかりでした。だからこそ、学ぶ意欲と情熱だけは失わず、精一杯に歩んでいく所存であります。合掌 南無阿弥陀仏 弦

如来は涅槃にとどまらず この迷いの世界に来たりて 私たちを救い続けておられる

『あみださまとおしゃかさまはどっちがえらいの?』

浄土真宗(じょうどしんしゅう)のお寺の内陣(ないじん)でも、ご門徒様のお宅のお仏壇(ぶつだん)でも、その中心にはご本尊(ほんぞん)である阿弥陀如来(あみだにょらい)(または南無阿弥陀仏(なみあむだぶつ))がおわします。そして、その向かって右には親鸞聖人(しんらんしょうにん)(または帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい))、左には蓮如上人(れんにょしょうにん)(または南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい))がおわします。あれ?仏教の開祖はお釈迦(しゃか)様なのに、どうしてそこにおられないのでしょうか?!
仏さまの「悟(さと)り」そのものは、阿弥陀如来もお釈迦様も同じであります。しかし、「悟りに真理」は色も形も無く、私たち人間に認識できるものではありません。そこで、悟りの世界(真如)より阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)というお姿をお示しくださったのですが、それでもなお私たちには知ることができません。そのため、私たちに伝えるために仏さまが人間としての形をとられたのがお釈迦様なのです。お釈迦様が和限りなくおわす仏さまの中で唯一この世に人間としてお姿を示されたその目的は、阿弥陀如来の「全ての生きとし生けるものを必ず救う」という誓い(本願)の教えを説くためだったのです。それはつまり「南無阿弥陀仏」にお釈迦様も内包されているというわけです。
また、歴史学として見ていくならば、お釈迦様がご入滅なされた後、その「悟り=真理」の永遠性(慈悲/アミターユス)・普遍性(智慧/アミターバ)が象徴化されていき、阿弥陀仏思想が成立したと考えられているようです。この場合でも、お釈迦様は「南無阿弥陀仏」に内包されているわけです。
ですから、阿弥陀如来と釈迦如来のどちらが偉いとか凄いなどということではなく、また決してお釈迦様を大切にせず粗末に扱っているわけでもないのです。
阿弥陀如来もお釈迦様も、この私が「南無阿弥陀仏」を聞くことを通して「生」と「死」を越えた真実の「いのち」の世界に目覚め、念仏と共に歩んでいくことを願い続けておられます。私たちはただその教えに頷(うなず)き従うのみであります。
  なもあみだぶつ♪ 

行事案内

お経を称える会 9/27(木)18:30~20:00 9/28(金)13:30~15:00

楽しい仏教入門 10/19(金)18:30~20:00 10/20(土)13:30~15:00

願海寺報恩講法要 11/3(土)10:00~  11/4(日)10:00~

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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