願海寺新聞 第61号 – 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺 浄土真宗本願寺派 新井山 願海寺

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願海寺新聞 第61号

発行:2018年11月

こんにちは!この『願海時新聞』も第61号となりました。2013年11月号が第1号でしたので、早いもので丸5年、6年目に突入したわけであります。始めた頃はここまで続けられるとは思っていませんでしたが、皆様からのお声を励みに毎月発行することができています。第50号のときには『北日本新聞』様(12/18朝刊)の記事にして頂け、それが新たなご縁となった方もおられますし、また、網目のようなご縁の糸をつたって富山県外の方々のお目にも触れているそうなので、なんともありがたいご仏縁でございます。そう思うと『願海寺新聞』を始め、続けてこれて良かったと実感致します。何年前かは忘れましたが、当時まだ小さかった長男(現在小1)から書いている途中の原稿にグチャグチャに落書きされ最初から書き直すことになった事件も今では良い思い出です(笑)。相変わらずなかなか上手に書けず拙い誌面ではありますが、まずは100号を目標に、できれば200号、300号(約20年後!?)を目指して頑張っていきます!これからも宜しくお願い致します♪  南無阿弥陀仏 合掌 弦

阿弥陀仏の光明は最尊第一にして比(なら)びなし

『仏事のときってどうしたら良いの?①』

朝夕、お仏壇(ぶつだん)にお参りされるとき、月参りやご法事でお坊さんが来られたとき、お寺にお参りに行ったとき、お葬式のときなど…仏事(ぶつじ)に臨(のぞ)む際、お作法について迷うことはありませんか?まず、身なりで欠かせないのは、左手でお念珠(ねんじゅ)を持ちます。これは古来よりインドの思想で左手は不浄とされてきたことに由来します。服装は華美せず自分なりに清潔に整えれば良いでしょう。避けないといけない色はありません。帽子や装飾品はなるべく取るようにしましょう。
礼拝(らいはい)の対象は、ご本尊「阿弥陀如来(あみだにょらい)(南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ))」です。他の神仏や亡き方を礼拝の対象とはいたしません。ここは真宗において大切なので少し詳しく尋ねてみましょう。
阿弥陀如来からの「すべてのものを必ず救う」という誓願(せいがん)「南無阿弥陀仏」を心に頂いてお浄土(じょうど)に往(い)き生まれることができた人は、みな阿弥陀如来と同じ智慧(ちえ)と慈悲(じひ)の悟(さと)りを得た仏様と成られています。その往生(おうじょう)・成仏(じょうぶつ)は「終わり」ではなく、私たち衆生(しゅじょう)を救うための行(ぎょう)の「始まり」でありました。先だっていかれた方々は私が「南無阿弥陀仏」を聞かせて頂くそこにおられ、同時にまた私の称(とな)える「南無阿弥陀仏」は御恩報謝(ごおんほうしゃ)となっているのです。
さらに、十方の諸仏や神々も「南無阿弥陀仏」の無上の功徳(くどく)をほめ讃え、念仏の人をお護(まも)りになっておられますよ。よって、取り立てて別に礼拝する必要もないわけです。つまり、「南無阿弥陀仏」ひとつに御先人・御先祖から諸々の神仏へも全ての感謝が収まっています。さて、ご本尊の前では、まず一礼し、合掌して「南無阿弥陀仏」と称名(しょうみょう)念仏~礼拝をいたします。勤行(ごんぎょう)の際は、お坊さんが合掌・称名念仏・礼拝とされるのに合わせて行いましょう。どんなにお供え物をしようと、お経を読もうと、称名念仏がなければ全て無意味となってしまいます。なぜなら、仏教は「私」自身が仏と出逢い目覚めていく道です。「南無阿弥陀仏」が私の声(念仏)となり出てくるということは、阿弥陀如来からの誓願が確かに私に至り届いている証です。如来からの喚(よ)び声ですから恥ずかしいことは何もありません。お坊さんの声をかき消すくらいの大きな声でお念仏を称え聞き、如来の大きく温かく柔らかな御心に包まれましょう。  なもあみだぶつ♪

行事案内

お経を称える会☆11/11(日)18:30~20:00☆11/12(月)13:30~15:00

楽しい仏教入門☆12/21(金)18:30~20:00☆12/22(土)13:30~15:00
どなた様もお気軽にどうぞ!

僧侶似顔絵
村上 巧弦
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